長文インタビュー

医師インタビュー企画 Vol.7 徳田安春

2014年2月3日

“闘魂!”をたずさえて本土防衛を決意した徳田安春。
「イチロー型総合診療医」の育成、「闘魂外来」など、医師教育においてユニークなネーミングの施策を次々に打ち出し、医学生や研修医に絶大な人気を誇っている徳田安春は、生まれも育ちも沖縄県だ。彼が、本土での総合診療医育成に本腰を入れたのは2009年の春から。筑波大附属病院水戸地域医療教育センター(以下、水戸教育センター)は、筑波大学が水戸協同病院内に設けた民間病院内サテライトキャンパスで、徳田は、そんな全国で初の試みに初代総合診療科教授として参加した。高度医療と専門教育を担う筑波大教官が、市中病院として1次・2次医療を支えている水戸協同病院内で同院の医師と一体になり、医学生や研修医に、地域が必要としているプライマリ・ケアを実践的に教育している。多くの人には知られていないが、研修のメッカ・沖縄県立中部病院で総合診療の神髄を叩き込まれた徳田は、実はひとつの使命感に背中を押され本土での活動を決意したのだった。

実践力は、生身の人間を診察する以外には身につかない

vol7_2まずは、高まる興味を抑えつつ水戸教育センターを舞台に繰り広げられている医学生を対象にした臨床実習について聞いた。

「ローテーションで医学生が来たら、有無を言わさず院内PHSを持たせます。ファーストコールはすべて学生のPHSに入る。たとえば、入院患者が熱を出したときや、救急部から入院病棟に患者を移すときも、最初に呼ばれるのは学生。救急隊からの受け入れも同様で、患者が心肺停止していたら即座に心臓マッサージをするのも学生です。私たちはこれを診療主役型の臨床実習と呼んでいます」

診療主役型とは、医学生が”主役”となり、診療にあたるスタイル。”お手伝い”として参加する診療参加型と区別するための名称だそうだ。

現在、多くの大学病院で行われている臨床実習は診療参加型ですらない。診療見学型、あるいはマネキン相手に手技訓練を行うシミュレーション型である。真剣に対しているのだろうが、やはり、生身の患者を相手にしての実習とくらべれば、緊張感、リアル感が違い、教育効果の点で天と地ほどの違いがあると言わざるをえない。

5年次、6年次になっても国家試験のための座学が大半を占める医学部のカリキュラムの現状に照らせば、水戸教育センターが実施している臨床実習は特殊だ。「特殊」を「無謀」の意味を込めて口にする人も多いだろう。

「医学生に、なんて乱暴な行為をさせるのかとお叱りの声も聞こえてきそうですが、何があっても、医療の最終責任は私たち指導者がとります。指導者が常に目を配る環境下で、1日約30人の救急初診外来部門患者のファーストタッチを医学生が担います」

医学生は患者の病歴をとり診察、採血し、アセスメントプランを立てて、指導医にプレゼンテーションする。その繰り返しが実践力を生む。

「シミュレーターでは、胃潰瘍の穿孔による腹膜炎の身体所見などが出せません。実践力は生身の人間を診察する以外には身につかないのです」

「イチロー型総合診療医」が医師不足を解消する

vol7_3「当センターで展開しているような、指導医の監督のもとに行う実践的な臨床実習は、文部科学省が以前から望んでおり、厚生労働省も実技の実践は可能だと明文化をしています。それなのに、いったいいつから医学生には診察をさせないという状況となったのか、本当に不思議です」

理由のひとつとして、患者への遠慮が考えられると指摘する。

「学生に診察されるのを患者さんが嫌がるとの先入観があるのだろうと推測します。

しかし、将来、医師になるのは医学生しかおらず、次世代の医療の質を決定するのも医学生。医学生の教育が国の医療の質を大きく左右するのです。

日本以外の世界中の大学病院では、そんなごく当たり前の前提で医学生が診察する仕組みをつくり、国民にも納得させています。医学生が学生時代に見学だけで終わっているのは、先進国の中では日本くらいのものでしょう」

日米の医師教育の違いはよく言及されることだが、あえて記したい。アメリカでは、学生時代に貪欲に実習をこなし、在学中に日本の初期研修医レベルの能力を修得する医学生も多いとされ、さらに卒後少なくとも3年間は横断的で総合的な基本領域の診療能力の修得のために総合診療(総合内科または総合外科)のチームに即戦力としてたずさわり、後に専門科を選択する。ところが、日本では初期研修の段階でようやく実践的な研修を受け、その後すぐに専門科研修に進む。結果、守備範囲の狭い医師が多くでき上がってしまいがちだ。

「医師不足の根本原因は医師の絶対数の不足ではなく、医師ひとり当たりの守備範囲の狭さなのです。日本には内科だけでも専門科は10科目程度あり、すべての診療科をそろえられる医療機関はごくわずかしかありません。診てもらえる医師が近くにいなければ、住民は医師不足と感じる。したがって、私は、あらゆる患者に対応できる、きわめて守備範囲の広い『イチロー型総合診療医』の育成こそ、医師不足解消につながると確信します」

医学生に診療主役型の臨床実習を徹底的に行えば、初期研修医のレベルは上がる。医療の質の底上げになるとともに、医師不足を解消する良策にもなるだろう。

医学生からの申し込みが殺到する「闘魂外来」を各地で展開

vol7_4 いよいよ話は「闘魂外来」へ。徳田は、水戸教育センターで実施している診療主役型の臨床実習をユーモアたっぷりに「闘魂外来」と名づけ全国各地に赴いて展開、その輪を拡げている。これまで開催地となった医療機関は、練馬光が丘病院、阪南市民病院、茨城西南医療センター病院、健和会大手町病院などで、毎回、全国の医学生から申し込みが殺到するほどの人気を博しているそうだ。

患者の問診は初めてという医学生も多い中、闘魂外来では、問診→身体診察→鑑別診断→アセスメント→プラン→患者への説明という一連の流れを指導医とともにすべて行う。さらに、「鎮魂祭り」と呼ばれるカンファレンスでは、徳田を筆頭に名立たる総合診療医によるレクチャーや対話式のパネルディスカッション(トーク&トーク)が行われる。

「5年次、6年次を対象に実施する闘魂外来は、現在、申し込みから3ヵ月待ちという盛況ぶりです。

大学医学部での実習があるにもかかわらず、これだけ申し込みが多いのは学生自身が実践的実習を望んでいる証拠にほかならないでしょう」

徳田のまわりに志のある医学生や研修医が集まる理由が見えてきた。医療現場で即戦力になれる実力を養う臨床実習の場を提供し、医に向かう者が持つべき闘魂を実に素直に、正直に、そして厳しく示してくれるからだろう。

徳田安春ブログ 燃えるフィジカルアセスメント
ベッドサイドで必要なのは、パッションとコンパッションと闘魂である

徳田は、各地で実施した「闘魂外来」の活動報告や、総合診療医として必要な知識を自身のブログに掲載している。ブログタイトルからして熱く、内容もパッション三昧だ。大げさではなく、命がけでイチロー型総合診療医の育成に取り組んでいる徳田の心意気が見てとれる。

必見は、闘魂外来の様子をライブカメラで映した動画。燃える炎をバックに「闘魂外来」のタイトルが浮き上がる。動画を見ていると、日本各地の大学病院でこうした臨床実習が行われるようになれば、医学生の意識も、国民の意識も変わり、医療界に大きな変革がもたらされるのではないかと強く感じた。

*徳田安春ブログ: http://blog.goo.ne.jp/yasuharutokuda

入局せず救急医療が機能する中部病院での研修を決める

vol7_5彼の医師としての原点は、研修病院のメッカとしてあまりにも有名な沖縄県立中部病院(以下、中部病院)にある。1988年、琉球大学医学部を卒業後、大学医局に入らず中部病院での研修を選んだ。当時は沖縄県といえども、やはり大学医局に入局するのが当たり前。同級生の9割近くが大学の医局に入ったそうだ。

しかし、徳田に迷いはなかった。学生時代に2ヵ月間、中部病院で実習を経験し、開眼したのだ。そんな彼の目にはむしろ、入局するほうが冒険に映ったという。

「『どうして入局しないのか?』といぶかしがる同級生がいましたが、同時に彼は、『自分が入局するところの教授は3年後には退官だから、そのあとどうなるんだろう』と不安がっていました。私は、どちらのほうが腕を磨け、自信を持って進める道なのかを優先的に考えただけです」

救急車で運ばれてきた患者は全員を研修医がトリアージする

vol7_6中部病院の米国型の卒後臨床研修の歴史は古く、1967年の草創期よりハワイ大学から年間12~15名の優秀な指導医がやってきて中部病院を訪れ臨床教育に取り組み、プライマリ・ケアの実力がしっかり身につく医師育成を実践していた。

当時から近年にいたるまで、欧米型の研修、先輩医師が後輩医師の指導を行ういわゆる「屋根瓦方式」の研修を行っていたのは日本では唯一、同院のみであり、結果、他の研修病院では見られないすぐれた総合診療医を数多く輩出しつづけている。

「中部病院での研修は、『過酷』の一言でした。救急車で救急患者がひっきりなしに運ばれてきて、その全員をトリアージするのは研修医の仕事でした」

徳田が本土に来て、いちばん驚いたのは、医療機関が救急車を平気で断る現実だったという。

「沖縄県は本土から海によって隔てられ、さらに、多くの離島を有しています。本島では中部病院、離島では島に一軒しかない診療所で救急患者の受け入れが断られれば、患者に行き場所はない。そうした環境下では、当然ですが救急車を断るという発想はありえません」

輸血が足りなければ、研修医が自らの血を差し出す。中部病院ではそんなことも自然に行われていた。

「同院では、古き良きアメリカの指導医に教育を受けた先輩たちが、私たちを指導し、私たちも彼らの精神を受け継いで後進を指導していました。その過程で、手技の技量はもちろん、医師として核となる思想も伝承されていたと感じます」

医師として核となる思想とはいったい、どういうものか。

「思想というと大げさですが、医師の心得です。あえて口にすると当たり前すぎる事柄ばかりだと感じられるかもしれませんが、いざ実際に行うとなると難易度は高いでしょう」

心得の一部を教えてもらった。守備範囲は狭めず患者ニーズに合わせて広げる、救急患者は断らない、自分で診られなければ助けを呼ぶ、24時間365日対応する。確かに、医師がこんな心得を持ってくれていれば、どんなに患者は救われるだろう。しかし、紹介された一部の「医師の心得」でさえ、徳田自身も指摘するように、実現するのはきわめて難しいと思われた。

困難だと知っているが、決して不可能だとは思っていない。むしろ、高いハードルを本土でクリアする環境の構築を使命と感じている。

本土が被るだろう悲劇の回避のために

ジェネラリストの必要性が言われるようになり、総合診療医というカテゴリーが日本での市民権を得ようとするころ、徳田はそのオピニオンリーダー的な存在として医療界で光を放ち始めた。メディアで取り上げられる回数も増え、おそらく若い医師で彼を知らない者は少数派だろう。ゆえに徳田=(イコール)総合診療医のイメージが先行しているが、彼は優秀な臨床疫学の研究者でもある。 vol7_7

ハーバード大学公衆衛生大学院臨床疫学修士を修了し、2008年には聖路加国際病院一般内科医長・聖ルカ・ライフサイエンス研究所臨床疫学センター副センター長の職にあった。そして沖縄を離れ本土上陸を果たした動機は、疫学者としての危機感からだった。

「1960年代にハーバード大学のグループが沖縄を訪問し、伝統的な沖縄の食生活、ライフスタイルが健康に良いというデータをまとめています。しかし、その沖縄に何が起こったのか――急速な欧米化でした」

欧米化は、健康状態の悪化のみならず、家族やコミュニティの崩壊までもたらしたそうだ。欧米の個人主義により核家族化が進み、コミュニティの存在が希薄になり、個人の悩みは個々の心の内へ向かうようになってしまったという。

徳田は故郷の変貌に危機意識を持ち住民への啓発活動を行いながら、一足早く欧米化した沖縄が抱えた問題は、間もなく本土の問題にもなるだろうと直感した。

「8年前、私が沖縄から飛び出したのは、本土が沖縄の二の舞いになるのをストップさせるためです。沖縄にはジェネラリストを育成する土壌が培われつづけており、欧米化が進んでも歯止めをかけられる可能性はある。一方、本土にはそれがありませんから、欧米化に拍車がかっている現状を放置すれば、結果として沖縄の比ではない惨状が去来するでしょう。

私は疫学者としての危機感から本土をめざし、欧米化によって本土が被るであろう悲劇を総合診療医の育成によって回避させるために、今、ここにいるのです」

日々、全国各地から若き医師たちが、水戸教育センターを訪れ教えを請うている。いつしか、彼らは徳田の熱心に教育する本来の意味を知り、日本人の健康を守る力になってくれるに違いない。

徳田 安春
とくだ やすはる
筑波大附属病院水戸地域医療教育センター総合診療科教授

1988年 琉球大学医学部医学科卒業
1994年 米国ダートマス大学ヒッチコック医療センター総合内科フェロー
2003年 沖縄県立中部病院内科副部長
2005年 米国ハーバード大学公衆衛生大学院臨床疫学修士修了
2008年 聖路加国際病院一般内科医長、聖ルカ・ライフサイエンス研究所臨床疫学センター副センター長
2009年 筑波大附属病院水戸地域医療教育センター総合診療科教授

エムスリーキャリアは、より多くの選択肢を提供します

先生方が転職をする理由はさまざまです。

  • 現状のキャリアや働き方へのご不安・ご不満
  • ご家庭の事情や、ご自身の体力面などの事情
  • キャリアアップ、新しいことへの挑戦
  • 夢の実現に向けた準備

など、多様なニーズに応えるために、エムスリーキャリアでは全国から1万件以上の求人を預かり、コンサルタントは常に医療界のトレンド情報を収集。より多くの選択肢を提供し、医師が納得のいく転職を実現しています。

転職すべきかどうかも含め、ご相談を承っています。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 長文インタビュー

この記事の関連記事

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.21 名知仁子

    ミャンマーの医療に全力を捧げる医師・名知仁子。巡回診療、保健衛生指導、家庭菜園指導の3つの活動を通して、ミャンマー人の健康を支える名知仁子。大学病院、国境なき医師団といった最前線の経験を経て行き着いたのは、日常生活からの自立支援だった。とはいえ、名知ははじめから崇高な目標を持っていたわけではない。人生プランに国際医療が加わったのは30歳過ぎ、海外の地に降り立ったのは39歳のときだった。途中、乳がんなどを患いながらも医師として走り続ける理由とは――。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.20 吉田穂波

    「女性は子どもを産むと戦力外?」当時の前提に疑問を抱いた女性医師「子どもを産むと仕事ができなくなる」のは本当か。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.19 髙橋昭彦

    障がいを持つかどうかは確率の問題。たまたま障がいを持つ人とその家族が、なぜこんなにも苦しまなければならないのか――。この思いを出発点に2002年から栃木県宇都宮市で「医療的ケア児」と呼ばれる子どもたちを対象にした在宅医療、家族支援をしているのが髙橋昭彦だ。その取り組みが認められ、2016年には日本医師会「赤ひげ大賞」を受賞。採算度外視で我が道を行く髙橋だが、40歳を迎えるまでは自身の生き方に悩んでいたという。髙橋のキャリアを突き動かした出来事とは。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.18 加藤寛幸

    紛争地帯や災害地域で危機に瀕した人々への緊急医療援助を展開する「国境なき医師団」。その日本事務局会長として、途上国での医療活動に身を投じているのが加藤寛幸だ。医師としてこれまで9回にわたり援助活動に参加してきた加藤。途上国医療の光も闇も目の当たりし、挫折を繰り返してなお活動に身を投じ続けるのには、わけがある。

  • 長文インタビュー

    病院の外から医療を開拓する山本雄士

    臨床の第一線を離れ、起業家として医療への貢献の道を探る医師がいる。山本雄士、日本人医師で初めてハーバード・ビジネススクールでMBA(経営学修士)を取得し、2011年に予防医療ビジネスを展開する株式会社ミナケアを創業した人物だ。日本ではまだ発展途上とも言える予防医療の領域に力を入れる山本。そのルーツは、臨床現場で感じた素朴な思いなのだという。

  • 長文インタビュー

    志水太郎が「愛され指導医」になれたわけ

    東京都江東区の東京城東病院(130床)。同院には、異例の人気を誇る後期研修プログラムが存在する。立ち上げたのは、若くして日本・アメリカ・カザフスタンで医学教育に携わってきた志水太郎だ。志水のノウハウをまとめた著作『愛され指導医になろうぜ』(日本医事新報社)は現在、後進指導に悩む指導医のバイブルとして親しまれている。30代という若さにして、華々しい実績を残しているように見える志水。しかしその裏には、数々の挫折があった。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.15 新村浩明

    「これ以上の極限状態はないと思った」。東日本大震災が起こった2011年3月を、ときわ会常磐病院(福島県いわき市、240床)の院長代行、新村浩明はこう振り返る。あれから数年、被災地の医療が新たな局面を迎えた今、新村には、この病院で成し遂げたいことがあるという。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.14 林祥史(北原国際病院脳血管内治療部長)

    カンボジアに日本発の救命救急センターが設立されようとしている。2016年1月からの稼働を目指してプロジェクトを推し進めているのが、林祥史だ。34歳という若さで、北原国際病院の血管内治療部長として診療を続けながら、株式企業KMSI取締役としてカンボジアプロジェクトの指揮を執る。日本式医療を海外に輸出しようとする、その原動力とは―。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.13 渡邊剛(ニューハート・ワタナベ国際病院 総長)

    「日本の心臓外科医療を立て直す」ために新病院を立ち上げたニューハート・ワタナベ国際病院・渡邊剛総長を特集。心臓外科手術の成功率99.5%を実現し、大学教授にまでなった渡邊総長がいま、大学を飛び出し、新病院を立ち上げた背景とは?渡邊総長の医療、心臓外科、そしてダ・ヴィンチ手術にかける想いを聞いた。

  • 長文インタビュー

    医師インタビュー企画 Vol.12 佐藤賢治

    「“仮想”佐渡島病院構想」に挑戦する佐藤賢治。日本海沿岸に位置する、新潟県の佐渡島。過疎化・高齢化や医療者不足といった、地域医療に共通する課題の先進地域であるこの離島で、2013年4月から、あるプロジェクトが動き出した。

  • 人気記事ランキング