40代でパーキンソン病を発症し、50歳で医師として働くことを辞めた橋爪鈴男先生。後編では、再び医療の世界に戻った時のエピソードと、病を抱えるようになって変化したことを語っていただきました。(取材日:2020年2月20日 ※インタビューは、資料や文書による回答も交えた形式で実施しました)
「先生、お久しぶりです」かつての患者との再会
——脳深部刺激療法(DBS)が功を奏し、新たな形で社会と関わる機会が生まれた矢先、ある人から電話があったそうですね。
2007年のことです。「桑原哲也」と名乗る人物から連絡がありました。彼が経営する法人の介護老人保健施設の管理医師が退職するため、後任として来てくれないかという依頼だったのです。しかし、私が医師を辞めてから何年も経過していましたし、専門外の内科に携わることにもためらいがありました。手足の震えは改善していましたが、構音障害はまだ残っていたので、面会をして今の状態を見てもらった上で、お断りしようと考えていました。
待ち合わせたファミリーレストランで桑原氏と顔を合わせた瞬間、「お久しぶりです」と握手を求められました。彼はかつての私の受け持ち患者さんで、皮膚の難病があり、現在も治療を続けているとのこと。つまり彼は、私の「白衣を着ていた頃」、「白衣に少し執着をしていた頃」、「臨床を諦め白衣を脱いだ後」という、人生の大きな転換期を見ていたのです。 断る旨を告げると、彼は「先生、まだ医師の免状を捨てることはないですよ」と言いました。そして、「一緒に頑張りましょう」と──。それらの言葉に心が和らぐのを感じ、できるものは何でもやってみよう、と不思議と前向きな気持ちになることができたのです。 私は、「仕事を引き受けるのであれば、自分の経歴をスタッフや利用者の皆さんに知ってもらいたい。私のような人間が施設長であり、管理医師でも良いのであれば協力したい」と伝えました。このようにして、介護老人保健施設で施設長兼管理医師としての仕事が始まったのです。社会から完全に落ちこぼれてしまった私を福祉の世界に引き上げ、小さな花を咲かせるチャンスを与えてくださった桑原理事長には、本当に感謝しています。
——施設長兼管理医師として働くにあたり、どのような生活になりましたか。
施設内の徒歩5分もかからない場所に住み込み、通勤する形をとりました。入居者の皆さんは、骨折後や脳卒中の後遺症で障害を抱えた方が多いため、急変時にも対応する必要があります。夜間は薬の作用が切れてしまい、歩きにくいこともありましたが、スタッフに指示を出すなどして対応しました。利用者には、すでに未来を諦めているような方も多かったのですが、「小さくても良いですから、人生の花をもう一度咲かせてください」とできるだけポジティブな言葉を伝えるように心がけました。 医療とは違う福祉の世界ではありましたが、医師の仕事にもう一度携わったことで、少しずつ自信が戻っていくのを実感しましたね。
再び、皮膚科医として臨床に携わることに
——その後、さらなるキャリアの転機が訪れたそうですね。
介護老人保健施設で勤務を始めて1年半が経過した時、法人が経営する通所リハビリテーションに皮膚科のクリニックが併設されました。そこで院長として週5回の外来診療を担うことになったのです。周辺に皮膚科が少なく、入居者のみなさんだけでなく、地域からのニーズもあって開院の運びとなりました。 開院当初は、1日に30人以上の患者さんを診察していました。クリニックの2階にある有料型老人ホームの一室を居宅としていたので、仕事も生活もそこまで困ることはなかったですね。
ただ、時間の経過とともに、再び身体機能が低下していきました。というのも、DBSは根治手術ではなく、病状の進行を緩やかにする対症療法。当初は自力歩行ができていましたが、2012年からは再び車椅子が必要となり、言葉も徐々に不明瞭となっていきました。2016年には、DBSの胸部皮下の電池を入れ替える際に感染症にかかった上、大腸イレウスにも罹患し、3カ月の入院生活を送りました。 職場に復帰した後はさすがに診察のペースが落ちてしまいましたが、それでも現在、週2~3日は外来を担当し、100名の患者さんを診ています。構音障害はさらに進み、現在はあまりうまく話せませんが、スタッフに通訳してもらいながら診察を続けています。診療では、白衣ではなく明るい色のポロシャツを仕事着にしています。鮮やかな色を身につけることで、自分の心を奮い立たせるためです。 実際のところ、私は医師としてのコストパフォーマンスが悪いです。それでも、理事長をはじめスタッフ、患者さんがみな理解を示してくださっている。だから医師を続けていられるんです。本当に良い人たちに恵まれていると日々感じています。
——診察以外の時間は、どのように過ごしていますか。
機能訓練も兼ね、毎日4時30分に起床し、床の拭き掃除と洗濯を行っています。家事をするにも時間がかかるため、そのぐらい早く起きなければ、7時の朝食の時間に間に合わないのです。また、運動機能の低下を防ぐためにも、歩行器を使った歩行訓練は毎日行っています。あとは、ベランダの鉢植えに水やりをするのも日課です。自分でできることは、何でもやりたいんです。
診察以外の時間は、地区の医師会誌に投稿するエッセイを書いて過ごしています。体の状態からすると勤務日を増やすのは難しいですが、医師としては、もっと医療に携わりたい気持ちはあります。
——先生の言葉一つ一つから、前向きな姿勢が伝わってきます。モチベーションの源は何ですか。
「やめたらアウト」という気持ちです。病気になって失ったものはたくさんありましたが、それ以上に得たものも多かった。その一つが、ポジティブな思考です。私はもともと、ネガティブ思考に陥りがちなタイプでした。例えば、100を到達点として50までできた場合、「50までしかできなかった」と考える方でした。しかし、病気になって、いろいろ苦しみ悩んだ結果、「50もできた」と考えられるようになりました。
パーキンソン病は、1,000人に1人の発症率です。罹患してしまったことは運が悪いのかもしれませんが、逆に私が病気になったお陰で、999人が病気にならずに済んだ。そう考えれば、自分が生きている価値があるのかなと思えます。結局私はずっと、生きている意味とその価値を追い求め、その証を残したいと思っているのかも知れませんね。
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