1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. チーフレジデントが「医療を変える」 ―長崎一哉氏(水戸協同病院)
事例

チーフレジデントが「医療を変える」 ―長崎一哉氏(水戸協同病院)

2019年4月4日

医師5年目でチーフレジデントを務めたことで、その後のキャリアに大きな変化があった長崎一哉氏。現在は、日本チーフレジデント協会設立に向けて準備を進めています。この取り組みについて、「医師人生をかけてやる価値がある」と語る長崎氏に、キャリアチェンジの背景、今後の展望について取材しました。(取材日:2019年3月10日)

チーフレジデントの重要性を実感

―総合診療医を志した理由を教えてください。

わたしは初期研修の段階では、腫瘍内科を専門にしようと考えていたんです。なので、志したというよりも、結果的にそうなったと言う方が正しいですね。
初期研修中に、他の診療科から信頼されるには、まずは内科のスキルをしっかり身につけた方がいいと考えていました。そのためにも、臓器に囚われない診方を学ぼうと思い、総合診療科で研修を受けることにしたのです。水戸協同病院に決めたのは、徳田安春先生に1週間同行する機会をいただいた際、同院に医師が多く勢いがあり、診療レベルも高く魅力的だと感じたためです。内科系病棟を指導医・研修医で構成した総合診療科チームが中心となって、診療科の枠を超えて管理するホスピタリスト方式のシステムを導入していて、全国的にも先進的な取り組みをしている点も、とても興味深く感じました。

―後期研修修了後も、総合診療科に在籍しているのはなぜですか。

後期研修修了後にやりたいことは何だろうと改めて考えた時、自分の臨床能力を高める以上に、日本全体の内科の質を高めたいと思ったんです。内科の質を上げるためには、臓器に囚われない総合診療科の質の向上が近道だと思い、腫瘍内科ではなく総合診療科でキャリアを積むことに決めました。この決断をするにあたり、医師5年目でチーフレジデントになったことも大きく影響しています。

当科のチーフレジデントは5年目に半年間、臨床業務から一切離れて、研修医のための勉強会の企画・運営や相談役、入院患者の振り分けやシフト調整といった管理業務など、研修医教育に関連する幅広い業務を専任で担当します。わたしがチーフレジデントを務めたのは、ちょうど当科のスタッフ数が減り、研修医が忙しさに悲鳴を上げている時期。社会的にも、医師の働き方改革がクローズアップされているタイミングでした。このままの体制ではだめだと思い、研修医の働き方改革を行ったところ、院内外で話題になったのです。

―具体的に、どのような改革を行ったのですか。

初期研修医の当直を、17時から22時までの半当直制にしました。そして22時から翌8時までの勤務は、救急部の研修医1人が1週間連続勤務するナイトシフト制を導入しました。また、全体のチーム数を減らし、各チームの人数を増やすこともしました。当科は、チームのうち1人が週末回診を当番制で行っていましたが、チームの人数が増えたことで、1人当たりの週末回診数を減らすことができました。
チーフレジデントのわたしと指導医、研修医の三者面談も行いましたね。ここで研修医の声を直接聞けたのは、その後の働き方改革や自分自身のキャリアにとって貴重な経験になりました。面談では、厳しい意見も少なくありませんでした。忙しいということはそれだけ症例数を診られているわけですが、忙しすぎると研修医の満足度が下がったり、自分自身の成長を感じられていなかったりすることを知りました。また、労働基準監督署に提出できるように勤務時間を正確に入力していくと、時間外労働が多いことも分かりました。研修医は研修責任者や指導医に接する機会はありますが、なかなかこのようなことを面と向かっては言えません。

この経験を通じて、医師一人ひとりの質を高めるためには、教育だけではなく環境を整えることが必要であること、研修医をフォローするチーフレジデントの存在の重要性を認識しました。そして、「医師の仕事は臨床だけではない。現場のマネジメント能力を伸ばすこともまた重要だ」と考えるようになり、わたしはそれをやりたいと思ったのです。

日本チーフレジデント協会設立に向けて

―チーフレジデントの存在感を高めるために、何か取り組んでいることはありますか。

現在、日本チーフレジデント協会(JACRA)を設立しようと準備をしています。代表は、わたしと飯塚病院(福岡県飯塚市)総合診療科の小杉俊介先生で、運営メンバーは約10名です。

キックオフとして2019年2月、来年度チーフレジデントになる予定の方を中心に参加者を集めて、「第1回チーフレジデントミーティング in Japan」を開催しました。チーフレジデント25人に加えて、チーフレジデント制度に興味のある医師が60人近く集まりました。予想の3倍近い参加者が集まったので、少し驚きましたね。
このミーティングでは、各病院のチーフレジデントの役割や、業務をどのように進めているのか、そもそもチーフレジデントをどう決めているのかなどを情報共有しました。そして、自分の現場でチーフレジデントとしてどんなプロジェクトを行うか、その場で決めて持ち帰りました。

―なぜ、そのような協会を設立しようと考えたのですか。

日本では、統一されたチーフレジデント制度も、統括する団体もありません。医療機関ごとにチーフレジデントの定義が異なり、業務もさまざまです。そのため、チーフレジデントが集まって情報共有し、それぞれの現場でPDCAを回すことで、研修プログラムの質が向上していることを示し、制度として確立して全国に広げたいと考えました。

理想は、専任のチーフレジデントを研修施設に置くことです。ただ、病院側は臨床業務をしない医師をコストと捉える可能性が高いことが懸念されます。しかし、チーフレジデントがいることで研修プログラムの質が上がり、研修医の満足度が高まれば、リクルートにもつながります。経営も安定し、地域により一層貢献できる病院になることでしょう。そのためにも、まずはチーフレジデントの価値を示していくことが重要だと考えたのです。

チーフレジデント制度の普及で実現したいこと

―長崎先生が考える、チーフレジデントの存在意義とは。

話が重複しますが、チーフレジデントは研修プログラムをよりよくする存在だと思います。そして、医療を変えるパワーになり得る。病院の勤務医が全国に約20万人で、半数程度が常勤医と言われています。研修医は年間約4万人なので、常勤医の半分弱が研修医ということになります。研修医の管理やサポートなどをしっかり行えるチーフレジデントがいることで、研修プログラムの質が上がり、半数弱の常勤医の質が上がれば、日本の医療全体の質が上がるのではないか――チーフレジデントを経験してみて、そう考えました。

始めた当初は、ほとんど何もないところから作り上げていく楽しさに惹かれた部分もあると思いますが、現在はチーフレジデント制度の普及を通して、日本全体の医療の質向上に貢献したいと思っています。わたしは、チーフレジデント制度の構築は、医師人生をかけてやる価値があると考えています。将来的には、チーフレジデントが各病院でなくてはならない存在になれたらうれしいですね。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ――森本真之助氏(三重県 紀南病院)

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 事例

    運営休止した銚子市立病院で、60代医師が働きたいと思った理由―蓮尾公篤氏(銚子市立病院)

    大学病院、神奈川県の公的病院にて長年、外科医として勤務してきた蓮尾公篤先生。医師になったときから思い描いていたキャリアを実現させるべく、60歳を過ぎてから転職活動をスタートします。さまざまな選択肢の中から転職先に選んだのは、かつて運営休止に追い込まれてしまった銚子市立病院でした。蓮尾先生が銚子市立病院に入職を決めた経緯、今後の展望についてお話を伺いました。

  • 事例

    地元・山口に還元する家庭医が描く夢―玉野井徹彦氏(山口大学総合診療部)

    現在、山口大学総合診療部にて臨床・教育・診療体制の改善に取り組むのは、家庭医の玉野井徹彦(たまのい・てつひこ)氏。もともと同氏が医師を志した理由は、地元・山口県の環境保護に取り組むためというユニークなものでした。そんな玉野井氏が思う、山口県の抱える課題と将来実現したい夢とは――。

  • 事例

    町医者に憧れ、被災地で学び、家庭医として地元へ還元する―遠藤貴士氏(モミの木クリニック)

    現在、モミの木クリニック(福島県郡山市)で家庭医として勤務している遠藤貴士(えんどう・たかし)氏。初期研修時、「良い意味で“ごちゃまぜ”」な家庭医に魅力を感じ、家庭医療の道を志します。その後、被災した石巻市での活動を経て、東北地方に当時はなかったGIMカンファレンス(全国各地の有志が開く総合内科の勉強会)を立ち上げます。遠藤氏のこれまでの活動や今後の展望を取材しました。

  • 事例

    「ならば自分が」医師不足に心痛めて薬剤師から医師に ―佐藤英之氏(坂総合病院

    薬剤師から医師へ異色のキャリアチェンジを果たした佐藤英之氏。鹿児島県の調剤薬局で働いた経験などから、地方医療における医師不足や、これに伴う患者の選択肢の少なさについて危機感を抱いていました。これまでの経験を活かし、佐藤氏が歩もうとしている道とは──。

  • 事例

    救急医療改革で、より多くの患者さんを救える日本へ――安藤裕貴氏(一宮西病院)

    安藤裕貴氏は、日本の救急医療に課題を見出し、MBAを取得。2018年からは、ビジネススクールで学んだマネジメントの知識を生かし、一宮西病院(愛知県一宮市)で総合救急部救急科部長として救急改革に取り組んでいます。さらに、改革の輪を全国に広げようと、若手医師の育成にも尽力。安藤氏が思い描く理想の救急医療の姿と、理想の実現に向けた取り組みを聞きました。

  • 事例

    北海道の若手医師のために、道外へ飛び出した総合内科医のビジョン―小澤 労氏(国立病院機構栃木医療センター)

    北海道出身の総合内科医・家庭医、小澤労氏が初期研修を経て感じたのは、「北海道では、自分のなりたい医師にはなれない」ということでした。尊敬する医師の言葉に背中を押され、道外へと踏み出します。小澤氏が思う、北海道が抱える総合内科教育の課題と、若手医師を救うためのビジョンを取材しました。

  • 事例

    医師の働き方改革、若き離島医が抱える想い―砂川惇司氏(大原診療所)

    将来は故郷に貢献したいと考え、医師を志した宮古島出身の砂川惇司氏。離島研修が受けられる沖縄県立中部病院で研さんを積み、2017年より沖縄県西表島の診療所に赴任し、専攻医として日々診療にあたっています。「医師の働き方改革」の渦中にもいる砂川氏に、離島医としての想いや今後の展望についてお話を伺いました。

  • 事例

    診療への悶々とした思いが一転 国内留学で得た衝撃とは ―河南真吾氏(徳島県立海部病院)

    河南真吾氏は医学生のときに同行した訪問診療の衝撃から、徳島大学卒業後に母校の総合診療部に入局します。総合診療部で日々診療する中で、ある悶々とした思いを抱き始めます。そんな折、亀田ファミリークリニック館山への国内留学をきっかけに、30代半ばにして自らの役割を見出しました。それまでの気持ちの変化や現在の活動拠点である徳島県立海部病院での取り組みを伺いました。

  • 事例

    市中病院から大学病院に入局した理由―近藤猛氏(名古屋大学医学部附属病院)

    学生時代、ある勉強会に参加したことを機に、将来の展望が大きく変わった近藤猛氏。市中病院で研鑽を積んだ後、名古屋大学医学部附属病院の総合診療科に入局し、現在は院内外で「教育」に携わっています。教育を通してどのようなことを実現しようとしているかを伺いました。

  • 人気記事ランキング