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フリーランス医師が、県知事を志すまで ―川島実氏

2019年2月14日

京都大学医学部在学中にボクシングのプロライセンスを取得し、29歳まで約5年間プロボクサーとして活躍してきた川島実氏。その間に医師免許を取得し、ボクサー引退後は、医師として全国各地の医療機関に勤務してきました。東日本大震災後は、被災し院長不在となった気仙沼市立本吉病院(宮城県)の院長に就任。2014年に院長を辞任した後は、地元・奈良県に戻ってきました。型にはまらないキャリアの持ち主である川島氏のその後を追いました。(取材日:2018年11月30日)

勤務先に依存しないために

―本吉病院の院長を辞任した後は、どのような働き方をしているのでしょうか。

奈良に戻ってきて1年ほど、かつてお世話になっていた病院に勤務していました。しかし、診療方針の違いなどで病院側と対立してしまって――。現在は、全国10カ所ほどの医療機関を巡業するようなスタイルで働くフリーランス医師です。

突然ですが、“お年寄りの自立”は、どのようなことを指すと考えますか?
わたしは、自立とは「何でも1人でできます」と言える状態ではなく、これは息子に、こっちはお嫁さんに、これは2人に頼むのは大変だから介護士さんに、と頼れる人や場所が複数あることだと思っています。一番避けたいのが「わたしにはこの人がいないと駄目なんです」と、誰か1人に頼りきってしまう状態。それでは共倒れしてしまいます。
翻って、医師としての活動も、1つの病院に依存するのではなく、複数の医療機関に勤務した方がいいのではないかと思ったのです。本吉病院には、院長を辞めた後も勤務先の病院を休んで、月に1回だけ診療に行っていました。そういった勤務先を少しずつ増やして、ゆくゆくは10カ所くらいにしていこうと考えたのです。

その矢先、自宅から本吉病院までの往復交通費約5万円が、1日分の給料と比較すると明らかに割高という理由で、打ち切られることになってしまいました。いくら医師とはいえ、5万円の交通費を自腹で払うのは、10代の子どもを持つ家計には厳しく、本吉病院の診療は続けられないと思いました。そんなとき、気仙沼市の近くにある、やまと在宅診療所登米(宮城県登米市)から「隔週1回診療に来てくれたら、片道分の交通費は出します」という申し出があったのです。そこで月曜日は、やまと診療所登米から支給された交通費で登米市まで出勤し訪問診療を、翌日火曜日は本吉病院で外来や訪問診療をして実費で帰る、というスタイルになりました。すると今度は「帰りの交通費を出すから、うちでも診療してほしい」という医療機関が現れたのです。このようにして、月曜日から水曜日まで、東北地方を巡業するように診療して奈良に帰る生活が始まりました。この頃には他の仕事も増えてきたこともあり、より活動しやすい働き方をするために、フリーランスの医師になったのです。

―具体的には、どのような地域を「巡業」されているのですか。

東北地方4カ所、関西7カ所の医療機関で在宅診療や外来診療、当直を担当しています。その他にも医療系の専門学校の講師や、介護認定審査会の委員、放課後デイサービスという養護学校に通う子どもたち向けの学童のような施設での嘱託医などもしています。

形は違えど、想いは変わらない

―フリーランスとして、各医療機関で働く醍醐味とは。

医師になって最初の10年は、常勤以外で働いたことがありませんでした。そのため当時は、非常勤は中途半端で責任感がない働き方だと思っていました。ところが、自分が非常勤で働いてみると、1年~2年と同じ医療機関で働き続けていくうちに、患者さんとの信頼関係ができ、「一部主治医」のような存在になれることに気付いたのです。

患者さんが自宅で急変し、慌てたご家族が病院の電話番号を忘れて、わたしの携帯電話にかけてくる――。そんなことも割と多いです。非常勤医でも患者さんから頼られていると感じることが、やりがいにつながっていますし、醍醐味だと感じています。さまざまな地域に行くので、いろんな生活習慣や文化、地方ルールに触れられて、自分の考え方の幅も広がるのも面白いですね。

―今後も、今と同様の働き方を続けていく予定ですか。

2018年12月に一度全ての診療を「店じまい」します。なぜなら、2019年4月の奈良県知事選に出馬するためです。

―なぜ、奈良県知事に立候補しようと考えたのですか。

子どもの学校のPTA会長や、自治連合会の会長をするようになって、医療界以外の方と接することが多くなりました。そうする中で、地元の政治を変え、奈良県に恩返しをしたいと思うようになっていきました。奈良県は長年、現職知事が選挙で負けたことがない筋金入りの保守的な県です。そして、旧態依然とした部分が多数あります。この県が変われば、日本が変わるのではないか――やや大げさかもしれませんが、そんな望みを抱きつつ、立候補することを決意しました。

―奈良県を変えることが、地元への恩返しにつながるのですか。

そのように考えています。なぜわたしの目が、地元や地域に向くようになったのかというと、子どもが生まれ、子どもは地域に育てられるということを強く実感しているからです。子どもは朝「いってきます」と出かけていったら、夕方まで家には帰ってきません。1日の半分近くは家の外、つまり地域で過ごすのです。地域が子どもの成長に与える影響は、大きいといえるのではないでしょうか。

わたしが地域医療に従事してきたのは、医療というツールを使って、子どもが育つ地域に恩返しをしたいと思ったからです。宮城県気仙沼市に赴いた時も、わたしが医師として働くことで、気仙沼市の医療が変わり、さらには日本が変われば、巡り巡って子どもがお世話になっている地域にも恩返しができるのではないか、という想いを抱いていました。医療というツールを使うのか、それとも県知事となって県政に関わるのか――。一見すると全く違うことをするように思われるかもしれませんが、「地域への恩返し」というスタンスは変わっていないのです。

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