東京ベイ・浦安市川医療センター 救急集中治療科で出会った嘉村洋志氏と瀬田宏哉氏は、共通の課題感を持ち、共同代表という形式をとって、2018年4月にロコクリニック中目黒(東京都目黒区)を開院しました。救急現場から地域医療へ目を向け、軸足を移した2人の想いとは――。(取材日:2018年10月30日)
救急医療の現場で感じた課題
―お二人で開業に至った経緯を教えてください。
嘉村:わたしたちが働いていた救急医療の現場では、ベッドの空き状況、診られる医師がいるかどうかなど、病院のキャパシティーによって救急車の受け入れ可否が決まっていました。そのため、軽症患者さんが救急車でたらい回しにされる場面に多く遭遇してきました。その度に、地域全体を俯瞰して病院の医療機能を考えた上で、キャパシティーにとらわれない救急医療を提供できないだろうかと感じていました。そして思い至ったのが、地域に独立した救急部門が1つあり、まずそこでトリアージして、専門的な治療が必要であれば適切な診療科につなぐ、という新しい救急システムです。
瀬田:救急医療の現場は、患者さんのバイタルといった数値を基準に、そのご家族と話して治療方針を決めることが多々ありました。一刻を争う状況では、重要かつ適切な対応です。一方で、嘉村もわたしも、患者さんの性格や生活を知った上で、ご本人と一緒に治療方針を決めるというような、患者さん本人とじっくり向き合える医療がしたいとも思っていました。そのため、救急医時代からイベントで救護係をしたり、ブース出展して健診をしたり、企業に出向いて医療の講演を行ったり、積極的に病院の外に出ていくようにしていました。
嘉村:現場で感じる課題感、目指す医療が同じだったことから、瀬田と開業することは、東京ベイ・浦安市川医療センターでの勤務を始めて3年経ったころから決めていました。開業地、診療スタイルを決めるのにはさらに3~4年かけています。
小規模なクリニックだからこそ、可能性がある
―平日23時まで開院しているのが貴院の特徴の1つかと思いますが、開業を考え始めたときから、そのように決めていたのですか。
嘉村:実は、当初はアメリカのフリースタンディングERという、病院から独立したER専門のクリニックを考えていました。救急車も受け入れて、救急医療のほとんどを自分たちの病院で治療を完結できるシステムです。
瀬田:中目黒に開業することを決めて、当初よりもクリニックの規模が小さくなり、その構想を練り直しました。その過程では、朝までクリニックを開けることも考えていました。しかしこの地域における疾患の発生状況、地域住民のニーズなどを慎重に探った結果、今のようになりました。ただ、地域から本当に当院のスタイルが求められているのか、持続可能性はあるのか、経営的にも成り立つのかなど、現在も継続して探っている状態です。
―想定よりもクリニックが小さくなったことで、デメリットはなかったのでしょうか。
瀬田:むしろ、可能性が広がったと思っています。救急車が出入りするクリニックだと、急患しか受け入れてもらえないという印象を持たれたかもしれません。しかし、この規模だからこそ、地域の方とのつながりも強く持てています。急患だけでなく、ちょっとした軽症患者さんも来てくれますし、慢性疾患の患者さんの診療や、心療内科診療にもあたることができています。
地域の健康向上を目指す
―現在のクリニックの状況を詳しく教えてください。
嘉村:まだ1年目ですが、手応えを感じています。人員面では、瀬田とわたしの常勤医2名のほかに、非常勤医として小児科医と家庭医が1名ずつ加わってくれました。勤務時間も、開業当初は2人とも23時までいるようにしていましたが、最近はその日の患者数や予約状況によって、どちらかが早めに帰ったり、翌日遅く出勤したりと調整できるようになりました。
瀬田:患者さんからの反応も良いですね。患者数は、想定していたよりも大幅に伸びています。当院が大通りに面していて、かなりの人数の通勤者の目に触れますから、地域の方々への認知が進んでいるのだと思います。インターネットで検索して、夜間に受診したい方が遠方からわざわざ来院されることもあります。
嘉村:そうして訪れた患者さんの中には重症患者もいて、病院に搬送してそのまま手術や入院になったケースもあります。当院が中軽症の患者さんを診ることで、周りの病院は重症患者さんに専念できる。その棲み分けも、今後より一層できるのではないかと考えています。
瀬田:23時まで開けているので、患者さんのなかには、受診が必要ない症状でも来られる方もいます。そのような方に適切な受診のタイミングを知ってもらうことも、当院の役割の1つだと思っています。わたしたちが診て、治療が必要ないと判断した場合は「次回同じような症状だったら、家で安静にしていれば大丈夫ですよ」と伝えていくことで、一般の方々の医療リテラシー向上につながるはず。このような役割を担えるのは、平日遅くまでクリニックを開けることで、症状も年齢層もさまざまな患者さんがアクセスしやすいからだと考えています。
―共同代表ですが、意見の対立などないのでしょうか。
嘉村・瀬田:しょっちゅうあります(笑)。
瀬田:院長は1人の方が、牽引力があるかもしれません。ただ、意見が1つではないため助かっていることもあります。意見がぶつかったとき、よく考えたら相手の考えの方が正しいと思うこともしばしば。多様な意見が出てくるからこそ、よりよい選択をできていると感じています。
―このクリニックを通して、どのようなことを実現していきたいと考えていますか。
嘉村:わたしたちは、救急医療の現場での課題感から開業を決めました。その一方で、地域に根付く「赤ひげ先生」のようになりたいとも思っています。近隣住民にとって、気軽に訪れることができ、情報交換や人との交流が生まれる環境をつくっていきたいですね。
先程もお伝えしたように、いつでも誰でも歓迎するのではなく、本当に医療が必要な方が、必要な時に来られるように、一般の方々の医療リテラシーを上げていくことにも力を入れていきたいと思っています。それが救急現場の疲弊を軽減することにもつながりますから。
瀬田:もう一言付け加えるとすると、情報や人の交差点が、必ずしも当院である必要はないんです。むしろ、このクリニックは「基地」のような存在。人がすでに集まっている場所――例えば公園や地域の人たちが参加するイベントなど、そのような場所に出向いていき、困っていることがあれば、手を差し伸べていくこともしていきたいと思っています。医療的な問題を解決するだけでは、健康にはなれません。地域のつながりや経済格差など、生活全般の困り事を解決する必要があります。そのためにも、当院を基地にして街に出ていき、街の人たちが健康になるために自分たちができることを、模索しながらやっていきたいと考えています。
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