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「緩和ケアはコンビニであるべき」常勤医7名体制の緩和ケア科の挑戦 -柏木秀行氏(飯塚病院)

2018年10月23日

医師5年目に、総合診療科から緩和ケア科に転籍した柏木秀行氏。現在は緩和ケア科部長として若手を中心とした6名の医師を束ね、緩和ケアの新たな価値を提供しようとしています。若手医師が集まる理由、そして緩和ケアの新たな価値とは――。(取材日:2018年7月15日)

転機は、小規模病院への出向

-総合診療医から緩和ケア医を志した経緯を教えてください。

総合診療科は、学生時代に見学したカンファレンスでその面白さに魅せられて、後期研修を飯塚病院の総合診療科で受けました。その後、医師4年目の時に、頴田(かいた)病院という地域の小規模病院に出向したことがきっかけで、緩和ケア医へキャリアチェンジしたのです。

-どんなきっかけだったのでしょうか。

考え方が大きく変化した出来事があったのです。

頴田病院には、急性期病院である飯塚病院から次々と患者さんが転院してきます。看護師やソーシャルワーカーが、症状の安定している患者さんを1カ月程かけて退院させ、在宅診療や訪問看護に移行させていました。患者さんの中には「自宅に帰りたい」と希望しているにもかかわらず、自宅には帰れないと説明を受けて転院してくる方もいました。飯塚病院時代のわたし自身、自宅に帰りたがっている患者さんをあまり疑問も持たずに頴田病院に転院させていました。ところが頴田病院に来て、ここから自宅に帰っているなら、飯塚病院で在宅診療や訪問看護に切り替えたほうが断然いいではないか、と思ったのです。

また、頴田病院は60床中30床が自分の担当だったことも、考え方を変えるきっかけになりました。つまり、自らの医療行為がよりダイレクトに病院経営に影響することを肌で感じたのです。しかし、その関連性を正確に理解している医師は、当時わたしの周囲にはいないように感じました。地域医療をどのように支えるかを考えるときに、この視点は必要になるはずなので、自分がそれを考えられる人間になろう、と決意したのです。

そこで、自分が進むべき診療科を改めて考え直し、行き着いたのが緩和ケアでした。疾病構造上、緩和ケアは今後、地域でさらに必要になりますし、診療報酬やがん拠点病院の指定要件においても、重要な位置付けとなります。多くの医師が敬遠することもあり、必ずや必要とされる存在になれるだろうと考えました。ちょうどその頃、飯塚病院に緩和ケア科が立ち上がり、後期研修最後の1年に総合診療科から転籍して今にいたります。

「〇〇×緩和ケア」で若手医師を呼び込む

-現在、柏木先生は部長として緩和ケア科を切り盛りしています。緩和ケア科には何名の医師が在籍しているのですか。

常勤医師が7名、そのうち専攻医は2名です。毎年2名ずつ後期研修医として入ってきています。なお、短期研修は年間20名弱にのぼります。

-緩和ケア科で常勤医師7名は大所帯だと思います。若手医師が集まっていると聞いていますが、その秘訣はどのようなところにあるのですか。

最初から緩和ケアに興味のある若手医師はほとんどいません。その事実に向き合うことが、何より大事ではないでしょうか。その上でわたしたちは研修医に「一度、緩和ケア科の短期研修に行ってみようかな」「1回行ってみたら結構面白かったから、もう1回長めに研修させてもらおうかな」と、興味を持って足を運んでもらう仕掛けづくりにこだわっています。

研修用のカリキュラムづくりでは、最初は看護師や薬剤師など、緩和ケアに関わるさまざまな職種の方に協力してもらいながら進めていきました。最近では、心不全緩和ケアの普及に注力しています。循環器領域は若手に人気があり、がん診療に携わらない領域。「循環器領域の緩和ケア」を打ち出すことで、がん診療を敬遠している若手医師にも緩和ケアに興味を持ってもらえる可能性が高まると考えたのです。国も、非がん領域の緩和ケアに力を入れる流れが出てきたタイミングだったので、それが追い風になったのではないかとも思っています。
この他にも、研修医向けに「救急×緩和ケア」セミナーを開催。セミナーだけではなく、緩和ケア教育の中にも、救急に役立つトレーニングを盛り込みました。具体的には、患者さんとのコミュニケーションのトレーニングで、救急のロールプレイングを活用するもの。研修医が救急外来を担当したときに実践でき、緩和ケアの一部は、救急や総合診療でも応用できると思ってもらえます。参加者には「もし、ためになったと思ったら後輩にも伝えてほしい」と依頼しておくことで、口コミで広がるようになっていきました。おかげさまで反響がよく、今後も継続して開催していく予定です。

緩和ケア科は「コンビニ」であるべき

-常勤医師が7名いるからこそできていること、今後取り組んでいきたいことを教えてください。

当院の緩和ケア科では、頴田病院や在宅医療部もあるクリニックと連携しており、当院から退院して連携先で在宅診療に切り替えた患者さんを、引き続き当院の医師が担当する体制を取ることができています。つまり、連携先から見ると、患者さんが医師付きで紹介されてくる状態。急性期病院からの患者紹介が増えれば増えるほど、地域の医療機関の収益は上がりますが、医師の負担は増えます。しかし、医師付きで患者さんが来る場合、医師の負担は少なく患者さんだけが増えます。もし患者さんが飯塚病院へ再入院になったとしても、当院への入院の内部調整をわたしたちが担うので、連携上のいざこざはありません。患者さんにとっても、同じ医師に継続的に診てもらえる安心感が大きいため、このモデルは地域医療にとって価値が高いのではないかと考えています。

院内では、泌尿器科と協力して、新しい取り組みも始めています。膀胱がんの化学療法を受ける入院患者を、緩和ケア科が主治医として受け持つようにしたのです。泌尿器科には、外来診療や手術、化学療法全てを担うのは負担が大きいという課題がありました。一方、緩和ケア科としては、内科トレーニングの一環として化学療法を勉強できる環境があると、科の魅力がさらに高まるのではないか、と考えていました。双方のメリットが合致したことはもちろん、緩和ケア科にある程度の人数がいるからこそ、実現できた取り組みだと思っています。
患者さんにとっても、化学療法の段階から緩和ケア科の医師が主治医であれば、緩和ケアに移行するときの心理的ダメージが多少なりとも軽減されるのではないかと考えています。この連携がうまくいったら、他の診療科との協力体制も構築していこうと思っています。

当科の医師や研修医には「緩和ケアはコンビニであるべき」とよく言っています。例えるなら、緩和ケアは専門性も費用も高い、まるで高級フレンチのような存在。しかし、がんになっても最期まで地域で過ごしたい患者さんの希望を叶えるには、もっとアクセスのいいコンビニのような存在であるべきだと考えています。アクセスの良さは地理的な面のみならず、費用負担が許容範囲であること、心理的にハードルが低いことも含めてです。
そのような緩和ケアこそが地域に必要ですし、ソーシャルインパクトのある価値を提供できると考えています。引き続き、多くの若手医師に緩和ケアに興味を持ってもらい、所属医師を増やしながら、「コンビニ化」した緩和ケアをさらに多くの方々に提供していきたいですね。

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