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約3時間かけて、宮城県松島町へ遠距離通勤する理由―小松亮氏(松島海岸診療所/みちのく総合診療医学センター)

2018年11月9日

2015年、家庭医の小松亮氏は一念発起して自宅は東京のまま、宮城県松島町にある松島海岸診療所で勤務することを決意しました。このようなワークスタイルを選んだその背景には、どのような想いがあったのでしょうか。(取材日:2018年8月16日)

今なら役に立てる 宮城県での勤務を決意

-家庭医を志した理由を教えてください。

わたしは初期研修でさまざまな科目をローテートする中で、どの診療科も面白く感じていました。ちょうどわたしが後期研修を始める年に、初期研修を受けていた立川相互病院(東京都立川市)でも家庭医療プログラムが始まることになり、「家庭医療なら、自分がやりたいことができるかもしれない」と思い、家庭医を志すことにしました。もともと内科系のほうが自分には合っていると思っていましたが、初期研修の時に傷を縫うなど外科的手技にも面白さを感じ、また、小児科にも興味を持ちました。家庭医療ならそれら全てに携われると思ったのです。

家庭医療専門医取得後は、立川相互病院の関連施設である伊奈平診療所(東京都武蔵村山市 現・大南ファミリークリニック)で勤務を開始。副所長として赴任しましたが、半年後には所長になり、2015年3月までの計6年間勤務していました。

-2015年4月からは、宮城県松島町の松島海岸診療所に赴任されています。どのような経緯だったのでしょうか。

父の故郷である宮城県石巻市が、東日本大震災で被災したことがきっかけです。小さい頃から遊びに行っていた父の実家も津波の被害にあい、親戚も被災しました。わたしは「石巻に行って医師として何かしたい」という強い衝動に駆られましたが、診療所を空けることができない状況で――。「今守っている診療所で診療をしっかり続けることが、今の自分がやるべきことだ」と、自分自身を納得させながら診療を続けていましたが、自分のルーツである場所で何かやりたいという思いは、全く消えませんでした。

そんな思いをくすぶらせていた時、家庭医として研さんを積む過程でお世話になっていた藤沼康樹先生が、東京での診療を続けながら、宮城県の総合診療医・家庭医育成プログラムを手伝っていることを知ったのです。東北地方の家庭医療の底上げや、家庭医を増やすために研修制度を充実させることだったら、わたしも藤沼先生から学んだことを活かして役に立てるのではないかと考え、思い切って宮城県での勤務を決意したのです。

平日は宮城県松島町、土日は東京の自宅という働き方

-現在、どのような勤務スタイルなのですか。

家庭の事情で自宅は都内にあるので、月曜日の朝に新幹線で宮城県に出勤、平日は県内で過ごして金曜日の夜、自宅に帰っています。勤務先は基本的に、松島町にある松島海岸診療所です。主に外来診療・在宅診療をしており、当診療所で家庭医療の後期研修を受けている医師の指導もしています。当診療所を運営している松島医療生活協同組合は、訪問看護ステーションやデイケア施設なども運営しているので、その運営についても一緒に考えることもありますね。

また当診療所は、県内の塩釜市にある坂総合病院を中心とした「みちのく総合診療医学センター」という総合診療を担う医師の教育センターの1つ。そのため、みちのく総合診療医学センターでの研修プログラムにも携わっています。具体的には、他の診療所で研修を受けている専攻医の進捗確認、毎月1回ある専攻医の振り返りカンファレンスへの参加などです。

-松島海岸診療所で勤務を始めて、苦労したことはありますか。

来たばかりの頃は、高齢の方が話す言葉が分からず、少し困ることがありました。ただこれについては、比較的すぐに慣れました。どちらかというと、自分の職務範囲ではありませんが、訪問看護ステーションやデイケア施設の人材不足に関することの方が苦労は大きいかもしれません。

着任当初は、訪問看護ステーションに4名の看護師が在籍していましたが、その後3名になってしまい、その状態が1年以上続いたことがありました。現在は5名に増えていますが、一時的に看護師たちの負担が増えましたし、自分たちがやりたいと思ったことが、人手不足のため制限されてしまうこともありました。例えば、脳血管疾患の患者さんが退院して訪問看護を入れようとしても、人手不足のため十分なケアが行き届かないということも――。デイサービスについても、同様のことが言えます。現在も人手不足が解消したとは言えず、何とか解決を図りたいと思っています。

-松島町の医療に携わる中で、この他に改善が必要だと思うことはありますか。

松島町には、眼科と皮膚科を標榜している医療機関がありません。そのため、専門の医師に紹介する場合、隣の塩釜市の医療機関などを受診してもらう必要があります。若い方なら車で30分ほどあれば行けますが、高齢の患者さんだと「行くのが大変だからもう少し様子見るよ」と言って、受診しないケースもあります。オンライン診療をはじめ、医療制度自体も少しずつ変化してきているので、制度でカバーできるといいのですが、何らかの改善策を講じなければいけないと思っています。

同じ志を持つ医師を増やしたい

-現在小松先生は、平日は松島町、土日は東京という生活をされています。このような生活はいかがですか。

東京駅から仙台駅までは新幹線で1時間半。自宅から診療所まではトータルで3時間強です。移動時間が長いのでしんどいと思う時もありますが、土日は一旦診療のことを忘れてフリーになれるので、移動時間の長さは許容範囲内です。むしろ、都内で勤務していた頃よりも、仕事とプライベートのオンオフがしっかり切り替えられているかもしれません。

土日を東京で過ごすことで、都内で勤務していた時に関わっていた東京民医連の家庭医療プログラムに月1回参加できたり、その他にも指導医研修の同期と勉強会にも参加できたりしています。

-今後はどのように考えているのですか。

今後も今のようなスタイルを続けるかは、正直全く分かりません。状況を見ながら、当診療所で自分にできる限りのことはしていきたいと思っています。

わたしは今後、ますます家庭医の重要性が増していくと考えています。長年離れた病院に通院されていた患者さんが、やけどをしてその病院に入院したことがありました。退院後は当診療所で診ていくことになりましたが、実は認知症の症状が進んでいてやけどを負ってしまったのです。つまり、病院にかかっていながら認知症の本来必要なケアが十分にされていなかった。こういった事例は全国各地にあると思います。このような時に、早期に認知症に気づきケアをしたり、状況の変化に応じて他職種と連携して調整したりしていけるのは、地域の家庭医です。

松島町の中では、少しずつ家庭医の認知が広がってきていますが、東北全体を見るとまだまだです。自分が家庭医として活動するのはもちろんのこと、家庭医は身近にいて何でも相談できる医師であることをより多くの方々に知ってもらいたいですし、同じ志を持つ仲間をもっと増やしていきたいですね。

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