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慢性期の現場に30代で飛びこんで思うこと―慢性期医療の世界Vol.2

2018年9月27日

10年間務めた厚生労働省を辞め、民間病院へと移ってきた坂上祐樹氏。現在は、慢性期の担い手として急性期経過後のケアに注力している平成医療福祉グループにて、30代という若さで複数病院の運営に携わっています。厚労省での経験を経、10年ぶりの臨床現場で感じることについて伺いました。

元医系技官が挑む、病院運営

─厚生労働省を離れ、10年振りの現場復帰です。戸惑うこともあったのでは。

まずは「臨床をしっかり思い出せ」と、最初の半年間は徳島の博愛記念病院の一般内科とリハビリテーション科で、みっちり臨床を学びなおし。優秀な回復期リハ病棟の先生の下について、指導していただきました。

はじめは、薬の名前が全然分からないし、上部内視鏡検査も以前のようにできませんでしたが、半年後には基本的な部分はスムーズにできるようになりました。一度、身に付けた感覚は忘れないもの。それこそ初期研修の2年間に鍛えてもらったおかげで、10年のブランクがあってもさほど無理なく現場復帰ができたように思います。

─現在はどんな仕事をしているのですか。

2017年の10月に入社し、今年4月からは医療政策マネジャーとして、臨床だけではなく病院の運営にも関わらせてもらっています。時間配分としては週に2日が臨床、残り3日は運営側の仕事といった感じです。

─毎日、どんなスケジュールなのですか。

大体月、火は徳島にいます。1日は臨床、もう1日は幹部会議に出て、課題を共有したり、武久代表などと話したりします。水曜日は2週間に1回が大阪。堺市に新しい病院ができるので、その準備です。それ以降は関東にいます。新たにオープンした総合検診センターのフォローや、あまり経営状況がよくない施設のテコ入れ、療養病棟からニーズが高い回復期リハビリテーション病棟への転換業務など、仕事は多岐にわたります。また、在宅医が足りない病院のサポートに入り、訪問診療で患者さんも診ているのですよ。当グループはインドネシアにも進出予定で、その準備のため、2カ月に1回は渡航しています。

一見医師の仕事ではない仕事にも、価値はある

―複数の医療機関にまたがってお仕事をされているのですね。

はい。平成医療福祉グループは全国に25病院、86施設・学校を運営しているので、施設によって抱えている問題も異なる。非常に多様で面白いですね。責任権限を与えられ、自由にやらせてもらえているので、とても充実しています。

仕事の範囲は幅広いですよ。先日は、ある病院で祭りを開催しました。その病院は患者が減少傾向にあったので、要因を分析したところ、地域での認知度が低いことが分かりました。そこで「みんなで一緒に祭りをやろう」ということになったのです。うちのグループ内では祭りを実施している施設は結構あるのですが、そこでは初めての催しでした。

地域のみなさんが喜んでくれる祭りの企画を部下と一緒になって考える。医師の仕事では完全にないけど、楽しいじゃないですか。部下が祭りに必要な物品を郊外の量販店で買おうとしていたので、叱りましたよ(笑)。「何のために祭りをやるのか。地域の人たちに病院を知ってもらうためだ。地元の商店街で買ってこい。そのときに『チラシを置かせてください』と頼むほうが何倍も得じゃないか」って。

当日、僕はたこ焼きの係でしたが、上手だとほめられました。地域の人たちが200人ほど来てくれ、一応ノルマは達成できたかなと思います。イベントを通じて私たちの病院を知ってもらい、患者が増えて、よりより医療を提供できたら、地域のためにも、病院のためにもなります。

─運営側の仕事をする上で、大事にしていることは何ですか。

理念をみんなで共有することだと思います。それには「患者さんにとっていいことは損してでもやろう」ということを、繰り返し言い続けるしかないのかなと思います。

現場に入ってスタッフと同じ経験をして、そこで学ぶことも重要です。この前も介護スタッフと一緒に患者さんをお風呂に入れました。うちの代表も副代表もそういうタイプで、代表も今でもときどき入浴介助とかやっていますよ。

僕の個人的な考えですが、質の悪い医療なら提供しないほうがいい。ますます高齢化が進み、国の財政も厳しい中で、適当なことをやっている病院は潰れていくはずです。生き残っていくためには、患者に選んでもらえるような質の高い医療を提供しなければならない。そういう危機感を理念と合わせて職員たちと共有していくことが大事だと思っています。

当グループでは、提供する医療の質を向上させていくために様々な試みをしています。

その1つが、クオリティ・インディケーターという医療の質を測る指標です。例えば、患者のリハビリによる心体機能の改善率はどうか、褥瘡が発生してないかなど、そういう指標を経時的に追っています。

また、米国の患者満足度調査、HCAHPSにならったものも組み入れる予定です。米国ではこれをやらないと保険の金額が減算されるといった仕組みになっていて、毎年ランキングが発表されています。ちなみに1位がメイヨークリニックで、2番がクリーブランド・クリニック。これをうちのグループでもやってみようと考えています。

うちのグループは結構“昭和”なんですよ。慰安旅行や忘年会、運動会、徳島発祥のグループとして阿波踊りもあります。割とアットホームな感じです。例えば、忘年会はエリアごとの開催なので、去年は7回参加しました。大体1回が1000人規模で、歌謡コンクールや施設ごとに出し物をやって、一番のところには金一封が出ます。そういうのは面倒くさいと思う人も多いのかもしれませんが、そういうどうでもいいことで盛り上がれる組織はチームワークがいい。それがうちのグループの良さだと思います。

 「今度は現場から、医療を変えていきたい」

─坂上先生個人としては最終的にどんな医師、医療を目指していますか。

まだ正直、将来のゴールは見えていません。まずはいい臨床をしつつ、マネジャーとしていい運営もできる、両方を兼ね備えた医師になりたいと思います。グループの病院をよくして、それによって地域医療をよくして、今度は現場から国に提言できるようになりたいですね。

一度きりの人生ですから、悔いが残らないようにしたい。人のためにと思って仕事をしていたら続かなくなると思う。だから自分自身が楽しいことをやって、それが結果的に世のため、人のためになることをやっていきたいと思っています。

坂上 祐樹
さかがみ ゆうき
平成医療福祉グループ医療政策マネジャー
医師/医学博士

1981年生まれ。長崎大学医学部卒業後、2006年から長崎県五島中央病院で初期研修。08年に医系技官として厚生労働省に入省。臨床研修制度の見直しや診療報酬改定などを手掛ける。17年7月に退職。同年10月から平成医療福祉グループ医療政策マネジャーとなり、臨床に携わりつつ、グループ全体の医療政策を担う。

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