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住民が身近な離島医療 親しさゆえのジレンマとは―張耀明氏(新島村国民健康保険診療所)

2018年9月19日

家庭医の張耀明氏は長年、へき地医療に携わりたいと考えていました。2017年、そんな張氏に東京都・新島へ赴任するチャンスが到来します。2018年度からは診療所長も務める張氏に、新島の医療事情や課題、将来の展望について率直に語っていただきました。(取材日:2018年6月15日)

家庭医の本領を発揮できる、離島に行きたい

―家庭医を選択された張先生。新島に赴任した経緯を教えてください。

わたしは小児から妊婦さん、そして高齢者まで、あらゆる世代を幅広く診られる家庭医になりたいと思っていました。しかしながら、本土の家庭医療では産婦人科領域まで勉強しても、なかなか実践まで至るケースはありません。そのため、産婦人科まで診なければならない地域で、家庭医として働きたいと考えるようになっていきました。地理的には、へき地とされるようなところが自分の理想に合っていると思い、ずっとその機会がないかと狙っていたのです。

京都市にある洛和会音羽病院で初期研修と内科研修を修了した後、千葉県館山市にある亀田ファミリークリニック館山で研さんを積んでいました。そんな時、「亀田ファミリークリニック館山としても離島に医師を派遣しよう」という話が持ち上がったのです。この機会を逃したくないと思い、派遣医師に立候補。派遣先の離島探しから一緒に携わり、最終的には伊豆七島の1つである新島に決定しました。
新島は東京都に属しているため、通常の緊急搬送先は23区内にある都立病院になりますが、悪天候の場合はより近い亀田総合病院に搬送しています。そのようなつながりもあり、2017年3月から、新島唯一の診療所である新島村国民健康保険診療所に赴任することになったのです。

新島ではなく、飛行機で行く内地の医療機関が選ばれている事実

―新島に赴任して約1年半。新島の医療事情について教えてください。

新島から飛行機で40分もすれば内地(本土)に行けるため、島の診療所を受診したことがない方が一定数いるということを赴任して初めて知り、大変驚くと同時に、問題だとも感じました。それが表面化するケースの1つが、悪天候になったときです。台風などの気候条件で飛行機や船が欠航になると、島外に出ることができなくなります。そのような状況下で、普段は内地の病院にかかっている方が薬だけもらいに来たり、急患の方の既往歴などが分からずスムーズな診療ができなかったりすることも少なくありません。特に、薬に関しては豊富に備蓄しているわけではありませんし、必ずしも薬をもらいに来た患者さんが使っている薬があるとは限りません。

多くの離島やへき地が抱えている、島民の高齢化や介護福祉士の不足などの問題は新島も同様です。具体的には、介護福祉の担い手不足のため、体調が悪くなった島民が内地の病院に入院すると帰って来られず、わたし達が知らないうちに亡くなっていたり、反対にいつの間にか帰ってきたりしていても知らないこともあります。

このように、島の患者さんの情報をまだまだ完全には把握できておらず、改善策もまだ明確には示せていません。今は、当院から内地の病院に紹介した患者さんの状況確認を継続的に行い、いつ頃退院するか、どんな薬を処方しているかなどの情報を定期的に共有してもらい、退院後スムーズにフォローできるような体制づくりを進めています。今後は、電子カルテの情報も共有しながら、手術のタイミングや処方している薬の情報などを共有してもらい、連携を一層強化できればと考えています。

―患者さんや島民との関係性については、いかがですか。

距離感が難しいと感じていますね。というのも、患者さんが自分の隣人、よく行くお店の店員さんというのはよくあること。このような二重の関係性があるので、町中でばったり会うと「この前の薬なんだけど、ちょっと合わなくて……」「ここが痛くて、ちょっと診てくれない?」と、医療的な相談をされます。ざっくばらんに接してくださるのはありがたいことなのですが、医師の視点から見ると、“どこから診察料をいただく「診療」なのか”という線引きに非常に難しさを感じています。

赴任した当初は、さまざまなところに顔を出して島民と仲良くなって、いつでも島民の健康を考え、守れる医師になることを思い描いていました。しかし、実際に赴任してみて、それがかえって不平等をもたらす可能性があると感じたのです。その一方で、全ての相談に対して「診療所に来てください」と一蹴してしまうのは、冷たすぎるのではとも思っています。“医師としての自分”をどう線引きしていくかの結論が導き出せていないので、今はあえて必要以上の外出を控えて、休日は基本的に家で過ごすようにしていますね。自分の中で線引きが明確になったら、さまざまな場に顔を出していこうと考えています。

―島民が医師に親しみを感じているからこその悩みとも言えますね。

そうとも言えますね。他にも、解決が難しい問題があります。2018年4月から、わたしが当院の所長になりました。新島では、昔から所長のことを「村医」と呼び、島民にとってはネームバリューのある存在です。また、当院は3名体制で診療所を運営しており、わたし以外の2名は任期が決まっていることから、わたしの外来診療の待ち時間が数時間単位になってしまっているのです。
技術の差ではなく、「『村医』に診てもらいたい」「少しでも長く同じ医師に診てもらいたい」という島民の心情の表れであることは理解しています。しかし、何時間も待っている患者さんの中に重症患者さんが紛れていたら、受診が遅れたがゆえに、深刻な状態に陥ってしまうかもしれません。現在は、わたしが外来診療をしている時に、他の医師が急患対応に回ってくれていますが、何らかの形で改善していきたいと考えています。

さまざまな問題点を挙げましたが、離島での医療はわたしのやりたかったことですし、家庭医の自分にとっては最適な場だと思うので、やりがいも大いに感じています。

医師として脂が乗っている今を、離島医療に捧げる

―今後のキャリアはどのように考えていますか。

家庭医の特徴の1つに「継続性」があります。同じ地域に長く住み、数年いるだけでは分からない課題を見出し、解決を図る。新島に赴任して丸1年が経ち、島民の塩分摂取率の高さや喫煙者数の多さ、高血圧の発症数などは分かってきましたが、より長期にわたって住むことによって、新島ならではの課題が浮き彫りになってくると思います。そのような課題に対して、解決策を講じることも家庭医の役割なので、10~20年は新島で家庭医を続けたいと考えています。

その一方で、新島に骨は埋めないほうがいいとも思っています。長年わたしがいるよりも、医師として脂が乗った30~40代の家庭医に世代交代していく方が、離島医療の質をより高めることにつながるからです。だからこそわたし自身、脂が乗っている今の時期を新島での医療に当てようと決めているのです。

新島を去った後のキャリアは、まだ考えていません。離島は好きなので、どのようなキャリアを歩むにしても、離島医療に何かしら関わり続けていきたいですね。

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