1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 「サーフィン専門外来」立ち上げ秘話 ―私の専門外来Vol.1サーフィン外来(後編)
事例

「サーフィン専門外来」立ち上げ秘話 ―私の専門外来Vol.1サーフィン外来(後編)

2018年9月12日

2020年の東京オリンピックで正式種目に採用されたサーフィン。注目の高まりが予想されるこの競技に医学的にアプローチし、「サーフィン専門外来」を立ち上げた稲田邦匡先生に、サーフィン専門外来の立ち上げ秘話について聞きました。

「サーフィン専門外来」開設の経緯

―サーフィン専門外来立ち上げの経緯について教えてください。

サーフィンの国際大会にいくつか帯同をするようになって、慢性障害を持っている選手、怪我をする選手を診る機会が多くなっていったんです。しかし、「何か違和感がある」と相談を受けても、大会会場で検査することはできません。選手が効率よく診察や検査を受けられるようにするために2010年から立ち上げたのが、プロサーファーを対象にした「サーフィン専門外来」です。

―通常の外来と、サーフィン専門外来の違いはどんなところにあるのでしょうか。

実際のところ、診療内容は一般の外来と変わりません。プロサーファーがサーフィン外来を受診したいと言ってくれれば、サーフィンを医学的に研究してきたわたしが外来に当たるというシンプルな形式です。今までにももう70人ほどのプロサーファーに受診してもらっている状況となっています。

サーフィンに関する論文でも発表しているのですが、もともと、サーフィンは怪我があまり多くないスポーツ。ただ、他のスポーツでは全く見ない足部外傷――足の脱臼や骨折は多くあります。腰痛や肩周りの障害も、セルフコンディショニング不足やオーバーユーズによる筋肉の緊張からくるものが多い。こういった身体の痛みがある選手のMRIやレントゲンを撮って検査をしても、ほとんど異常がないんです。その結果をうけて、身体の痛みを改善したり、動きを良くしたりするようなリハビリやストレッチの提案をしています。自分の身体が今、どのような状態にあるのか。それを把握することで選手は安心して競技に取り組むことができますし、わたし自身にサーフィン経験があるからこそできる医療提供だとも自負しています。

―整形外科とサーフィン医科学。それぞれを診ることで、診察にどのような相乗効果が生まれているとお考えですか。

サーフィン医科学研究だけをメインとすると、そもそもの患者さんや症例が少ないため、整形外科医としては不十分になってしまいます。わたしの専門分野である脊椎をサーフィン医学に活かす場合、椎間板ヘルニアの手術後にサーフィンへ復帰するまでどのようなリハビリプログラムを組んでいくか、といったものが挙げられます。自分の専門分野をサーフィン医科学に応用して、そこで得た知見を整形外科の知識として深めていく――。そういった好循環ができているように感じていますね。
わたしがサーフィンをただ楽しんでいる医者では、このような相乗効果は生まれません。サーフィンについて熟知しているという前提条件はもちろんありますが、サーフィン医科学研究という目線から、サーファー特有の怪我や障害を診たり、相談を受けたりしているからこそ、医学として双方に活かすことができていると考えています。整形外科医としてのわたしと、サーフィン医科学研究をしているわたしは、全く別の医者だと思っています。そういう意味では、二面性を持った働き方をしているような感覚がありますね。

全く想像していなかったキャリア

―先生が医師になった当初思い描いていたキャリアと、現在のそれには大きな違いがあるのではないでしょうか。

そうですね。医学生時代からサーフィンに親しんでいましたが、まさかそれを競技スポーツとして捉え、医学的な知識と結びつけて「サーフィン外来」として診察するなんて、全く予想もしていませんでした。房総エリアに移住をして、プロサーファーとのつながりが増えて、彼らの怪我などを診ることはありました。ただ、それを追究していこうと思ったのは、当院がスポーツ医学を扱っていたこと、何より、理事長の多大なる理解があったからこそ。これまでの整形外科医としてのキャリアがライフワークであるサーフィンにリンクしなければ、さまざまな縁やタイミングが重ならなければ――今のようなキャリアは歩めなかったと思います。

―2020年のオリンピックの公式種目になり、サーフィン競技も一段と盛り上がりそうですね。

オリンピックは特殊なイベントで、いろんな規制もあったりするので、やや複雑な気持ちもあります。ただ、競技としてサーフィンが注目されて、メジャーなスポンサーがついて、大会や選手への支援がもっと盛り上がっていくことは、すごく良いことです。いろんなテレビ番組の特集で選手の努力の様子や、サーフィンの面白さが多くの人に伝わったら良いなと個人的には思っています。

―今後の展望についてお聞かせください。

現在は、どちらかというとサーフィンの医科学研究がメインになりつつあり、脊椎外科医としては正直アップデートが止まっている状態です。ただ、自分だからこそできる診療でプロサーファーをサポートできているので、キャリアとしては良い状態だと考えています。

今後は、今まで以上に国内外でサーフィン医科学研究の論文を発表して、学術的により発展させていきたいですね。競技スポーツ人口が多いほど、「この種目は、◯◯病院の◯◯先生だ」というのがあり、診療体制やアスリートのフォローもしっかりしています。様々なスポーツには、日本代表の指定強化選手がいて、国立スポーツ科学センターで診療を受けつつ、ナショナルトレーニングセンターでトレーニングを積むことができるんです。わたしの夢は、そういうところに選手を送り込んで、世界で活躍するプロサーファーを輩出すること。わたしが手を挙げていろいろ整えようとしている最中なのですが、サーフィン外来のおかげでさまざまなネットワークができつつあります。それぞれの得意分野を活かして、役割分担をしながら、サーフィン業界をサポートしていきたいですね。

エムスリーキャリアは、より多くの選択肢を提供します

先生方が転職をする理由はさまざまです。

  • 現状のキャリアや働き方へのご不安・ご不満
  • ご家庭の事情や、ご自身の体力面などの事情
  • キャリアアップ、新しいことへの挑戦
  • 夢の実現に向けた準備

など、多様なニーズに応えるために、エムスリーキャリアでは全国から1万件以上の求人を預かり、コンサルタントは常に医療界のトレンド情報を収集。より多くの選択肢を提供し、医師が納得のいく転職を実現しています。

転職すべきかどうかも含め、ご相談を承っています。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    オリンピック出場を目指す研修医の思い―医師と2足のわらじvol.19(後編)

    初期研修医と世界クラスの山岳ランナーという二つの顔を持つ髙村貴子先生。今シーズンからは山岳スキーも始め、年間を通じて山を駆ける髙村先生は、将来にどんなビジョンを描いているのでしょうか。医師として、山岳ランナーとして目指している場所を伺いました。

  • 事例

    研修病院決定の決め手は「そこに山があったから」―医師と2足のわらじvol.19(中編)

    長野県で初期研修医として働いている髙村貴子先生は、国内では敵なしの実力をもつ山岳ランナーでもあります。初出場したレースでいきなり3位に入賞したのが医学部2年生のとき。ときには海外にも転戦する山岳ランナーと医学生をどのように両立してきたのでしょうか。卒試・国試を控えた6年生のときの過酷なエピソードや研修医生活との両立についても伺いました。

  • 事例

    国試の前は地獄…山岳ランナーと医学生の両立―医師と2足のわらじvol.19(前編)

    長野県で初期研修医として働いている髙村貴子先生は、国内では敵なしの実力をもつ山岳ランナーでもあります。初出場したレースでいきなり3位に入賞したのが医学部2年生のとき。ときには海外にも転戦する山岳ランナーと医学生をどのように両立してきたのでしょうか。卒試・国試を控えた6年生のときの過酷なエピソードや研修医生活との両立についても伺いました。

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”――吉住直子氏(JCHOうつのみや病院)・後編

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏(JCHOうつのみや病院)・中編

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏(JCHOうつのみや病院)・前編

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    不治の病を抱えながら、クリニックの院長へ ―病とキャリアvol.7(後編)

    40代でパーキンソン病を発症し、50歳で医師として働くことを辞めた橋爪鈴男先生。後編では、再び医療の世界に戻った時のエピソードと、病を抱えるようになって変化したことを語っていただきました。(取材日:2020年2月20日 ※インタビューは、資料や文書による回答も交えた形式で実施しました)

  • 事例

    「もう死にたい」動けない医師が光を見出すまで ―病とキャリアvol.7(中編)

    皮膚科医として、順調なキャリアを築いてきた橋爪鈴男先生。しかし、40代でパーキンソン病を発症した後、大学病院を辞すことを決意します。中編では、絶望を救った一つの言葉と仲間の支え、そして新たな治療を経て見つけた生き甲斐についてお話をうかがいました。

  • 事例

    40代でパーキンソン病「医師を続けられない」 ―病とキャリアvol.7(前編)

    順風満帆な生活から一転、晴天の霹靂のごとく襲いかかった難病──。橋爪鈴男先生は、40代でパーキンソン病を発症し、大学病院の助教授(当時)の職を辞すことを決意します。身体機能が衰えていく自分の姿に苦悩し、自殺を考えたこともあったそうです。しかし、生きる意味を見出し、再び医師として復帰するに至りました。前編では、突然の発症から大学病院の辞職を決意するまでのエピソードをお聞きしました。

  • 事例

    エンジニア、研究者を経て“ゴール志向じゃない自分“を肯定―医師と2足のわらじvol.18(後編)

    医学部を卒業後、ゲノム研究者とエンジニアを両立する日々を送っていた鈴木晋氏。「臨床がわからないと研究も深まらない」と考え、スキップしていた初期臨床研修を受けようと決意しました。その後、大学院でのプログラミングを用いた医学研究を経て、「治療アプリ」を研究・開発する株式会社CureAppの創業メンバーに。現在は、臨床を続けながら、同社の最高開発責任者(CDO)として開発全般を指揮しています。実は少し前まで、“ゴール志向”でない自身のキャリア観を肯定できずにいたとか。CDOとして働く現在は、どのように捉えているのでしょうか。

  • 人気記事ランキング