1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. ジェネラリストと中規模病院の価値観を高めるために。ある家庭医の施策 ―大杉泰弘氏(豊田地域医療センター)
事例

ジェネラリストと中規模病院の価値観を高めるために。ある家庭医の施策 ―大杉泰弘氏(豊田地域医療センター)

2018年8月28日

在宅療養支援病院が皆無だった愛知県豊田市。2015年、市内の豊田地域医療センターに一人の家庭医が赴任したことで在宅医療看取り率が大きく向上しました。年間看取り数120名の在宅医療支援センターを立ち上げる一方で、2018年現在、18名が在籍する総合診療プログラムも構築しています。この状況を作り上げた家庭医・大杉泰弘氏には、ある展望がありました。(取材日:2018年5月29日)

開業医になるためのスキルを学ぶために

―総合診療医に興味を持ったきっかけから教えてください。

父が愛知県内で開業医をしているため、「将来的には事業継承して開業医になる」と漠然と考えていました。そのことを本格的に意識し始めたのは、初期研修が始まってからです。
しかし、出身校の藤田保健衛生大学病院で研修を受けるなかで、はたと思いました。どの科を回ってみても「開業医になるためのフレームワーク」としては正解ではない。開業医に必要なことを学ぶには、このままさまざまな科を回り続けることは遠回り過ぎる――。そう思うようになってから、開業医に必要なスキルを身につけるにはどうしたらいいかを真剣に考えるようになったのです。出した答えは、福岡県にある飯塚病院の総合内科に行くこと。飯塚病院は教育が世の中を変えると確信して、教育を非常に大事にしています。その考え方にも共感しましたし、そこでなら開業に必要なスキルを学べると思い、医師3年目に飯塚病院へ移りました。

―飯塚病院では、家庭医療プログラムの立ち上げに携わっていますね。

はい。赴任して3年目以降から携わっています。それまでは、総合内科の素晴らしい先生方に大変お世話になりました。ただ、勤務を通じて、現場で診ているものとわたしが診られるようになりたいものが本質的に違うと感じるようになって――。わたしはもっと幅広い疾患を、子どもから高齢者まで幅広い世代の患者さんを診られるようになりたかったんです。

そんな思いを抱えていたとき、飯塚病院の現副院長である井村洋先生が家庭医療プログラムを立ち上げようとしていたのです。それは、小児から高齢者まで、内科だけでなく整形外科や皮膚科、婦人科まで診られるプログラムでした。その話を聞き、「わたしが目指しているものはこれかもしれない」と直感的に思い、プログラム立ち上げに関わりたいと自ら手を挙げたのです。

―開業医になるためのスキルアップを考える一方で、教育面に力を入れるようになったのはなぜですか。

当時のわたしは「最強の開業医になること」を目標に掲げていました。自分のキャリアやスキルアップを考える上での目的も、そこにあったんです。ある時、そのことを井村先生に話すと、「何を言っているんだ。開業医は手段であり、開業医になって何を成すのかが問題だ。それではだめだ」と言われてしまったのです。その後しばらく目標が見つからず、ずっと地に足がついていないような感覚でした。

そんな時、家庭医療プログラムを一緒に立ち上げてきた吉田伸先生とある約束をしました。
それは、「自分たちは『ジェネラリスト』の価値が高いと感じて、ジェネラリストとして働いているのだから、もっと日本のジェネラリストの価値を欧米のそれと同等にまで引き上げ、価値観を変えていこう」というもの。具体的には、年間8000~9000人が医師になるうち、少なくとも1000人、あわよくば半数がプライマリケアを実践できるように変えていくこと。そのためには教育が重要だと考えたのです。

最低目標1000人を達成するには、まずレジデントを20名取れるプログラムが50個ないと始まりません。アメリカ・ピッツバーグ大学では毎年30名超のレジデントを取って育てており、日本で毎年20名取るのは決して不可能ではないと考えました。必要なのは、指導医を必要数集められるだけの集患力と資金力、そして専攻医を集める力です。そのリソースを揃えて、20名取れる教育環境をつくっていこうと決めました。その結果、飯塚病院、そして経営統合された頴田病院両方で研修する家庭医療プログラムは、2018年度に10周年を迎えることができ、現在では20名弱の専攻医が研修を受けるまでに成長しました。

豊田市で家庭医療や総合診療を学ぶ土台を作る

 

―2015年から藤田保健衛生大学、そして豊田地域医療センターに赴任した大杉先生。このタイミングで環境を変えた理由とは。

将来的には、生まれ故郷である愛知県での医療に携わると決めていました。また先ほどお話ししたように、ジェネラリストの価値を高め増やしていくためには、飯塚病院と同じようなプログラムが全国各地に必要です。飯塚病院のプログラムが軌道に乗ったこともあり、2015年、愛知県に移ることにしました。

赴任した当時、人口40万人超の豊田市には在宅医療支援病院が皆無でした。開業医の先生方がそれぞれ在宅医療に尽力されていましたが、多くの負担がかかり続ける体制ではいつか限界がきます。家庭医療や総合診療を学ぶためにも必要な要素であり、豊田市ではあまり浸透してなかった在宅医療の土台をつくるべく、赴任先の豊田地域医療センターに在宅医療支援センターを立ち上げ、結果的に重症の患者さんを多く受け入れる形で在宅診療を始めました。1年目は月の患者数が約40名で年間のお看取り数が45名、2年目では前者が約120名、後者が約170名と右肩上がりに患者数が伸びていき、昨年は月の患者数260名、年間お看取り数が120名でした。在宅看取り率としては、2013年の時点で14.1%でしたが、2016年には16.7%になりました。
人口が40万人超なので、まずは1000人の在宅患者さんを診られる体制を構築しなければならないと考えています。

それと同時に取り組み始めたのが、藤田保健衛生大学病院と豊田地域医療センターが中心となり、トヨタ記念病院や名古屋医療センター、聖路加国際病院などの連携施設と協働する総合診療プログラムの構築です。プログラムがスタートした2015年度は3名でしたが、2016年度は5名、2017年度は6名、そして2018年度は9名が入り、現在は18名が研修を受けています。

開業医になっても、ジェネラリストの価値を高めていく

―ご自身のキャリアの展望は、どのように思い描いていますか。

将来的に父の医院を継ぐ意志は変わりません。そうは言っても、総合診療医の価値を変えるための取り組みを辞めるわけでもありません。開業医になったとしても、関わり方や続け方はいくらでもあると思っているからです。

また、わたしにはもう1つやりたいことがあります。それは、全国に約5800ある200床以下の中規模病院が生き残るための、第3の道を示すことです。
これまでの中規模病院は多様な診療科を標榜することで地域の患者さんの期待に応え、経営してきたと思いますが、今や時代は変わりました。中規模病院が生き残るための道は、総合診療を中心とした病院に生まれ変わることだと考えています。総合診療医が数名いるだけで、自ずと外来から在宅診療、そして幅広い診療科をカバーできます。そのような病院が地域にあれば、住民が健康で安心して暮らすことができ、地域全体が幸せになるのではないでしょうか。また、中規模病院はジェネラリストにとって最良の教育環境が整っているので、先程お話しした、レジデントをとって教育環境をつくる目標の現実化にもつながります。

この構想は、飯塚病院時代の同僚4人で語り合っていたことです。これを実現するために今年から始めたプロジェクトが「Community Hospital Japan(CHJ)」です。まだ始動したばかりですが、今後はこの活動も並行して行っていきたいと考えています。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 人気記事ランキング