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サーフィンに医学的アプローチを―私の専門外来Vol.1~サーフィン外来(前編)

2018年9月11日

学生時代からサーフィンに親しみ、千葉大学医学部卒業後は、整形外科医として研さんを積んできた稲田邦匡先生。2008年から競技スポーツとしてのサーフィンの医科学研究を開始し、2009年から日本プロサーフィン連盟(JPSA)のオフィシャル・サポート・ドクターに就任。2010年には、日本初の「サーフィン専門外来」を開設しました。ライフワークのサーフィンをキャリアに活かしながら働く稲田先生に、これまでの経歴、今後の展望について伺いました。

競技スポーツとして、サーフィンを医学的に研究

―稲田先生が整形外科を専門にされた背景には、サーフィンの影響があったのでしょうか。

もともと外科志望だったこと、部活のOBの話に感銘を受けたことが整形外科を選んだ理由なので、サーフィンは直接的には関係ないですね。大学ではスキー部に所属していましたが、夏は暇で…。そこで、当時流行っていたサーフィンを始めてみたところ、みるみるうちにのめり込んでいったのです。ただ、4年生になると外房まで波乗りに行く時間がなくなり、大学から近い千葉港や検見川浜で出来るウインド・サーフィンに転向しました。
大学卒業後は、母校の千葉大学医学部整形外科学教室に入局。千葉県内のさまざまな医療機関で研さんを積み、整形外科医や脊椎脊髄病医の資格を取得しました。医局人事で房総エリアの医療機関に転勤となったことから、南房総市に移住しました。その病院に骨を埋める覚悟でいましたが、結果的に閉院してしまって――。それを知った当院の院長にお声掛けいただき、2007年に勝浦整形外科クリニックに入職しました。このことが、わたしの医師、そして一個人としての人生の大きな転機となったのです。

―どのような点が、大きな転機となったのでしょうか。

入職して間もなく、競技スポーツとしてのサーフィンの医科学研究を始めたことですね。当院は、整形外科、リウマチ科、内科ならびにスポーツ医学をメインで診ており、地域をはじめ、競技チームや選手の方々をサポートするような診療・リハビリを行っています。このような特色や基盤が、わたしをサーフィンの医科学研究へと駆り立てたのです。

競技スポーツには、トレーナーやコーチがいて、団体自体がしっかりしています。一方、わたしがサーフィンを医学的にとらえはじめた2008年前後は、大会時の救護室もレスキュー隊も設置されていない状況。選手自身も怪我をしたときの対処法などがよくわかっていなかったと思います。競技スポーツとしてのサーフィン、そして大会やアスリート自身の意識も含めて、まだまだ発展途上にあると肌で感じました。まずは大会のメディカルサポート体制をしっかり作り、わたしがオフィシャルドクターという立場で、大会会場や当院でプロの選手を診ることで、基礎的なデータを集めるところから医科学研究をスタートさせました。具体的には、サーフィンではどういう怪我が起きているのか、サーファーは身体的にどういう障害を抱えているのかを個々人のデータから分析。それを日本整形外科学会学術総会、医学雑誌、サーフィン雑誌などに発表して、現在も発信し続けています。

数々の大会への帯同から見えてきた、選手たちの思い

―そのつながりで、JPSAオフィシャル・サポート・ドクターにも就任されたのでしょうか。

JPSAオフィシャル・サポート・ドクターは2009年から務めていますが、こちらの方は、移住してからできたプロサーファーの友人、サーフィン関係者とのつながりから生まれたものです。JPSAオフィシャル・サポート・ドクターの活動は、大きくは大会帯同、プロ選手のフィジカル面のケアの2つになります。選手の救護はもちろん、事務局とのやりとりから大会中断の判断まで、大会運営のアドバイザーのような役割も務めています。大会は年間で13戦ありますが、外来や学会などがあるため、全大会のサポートをできているわけではないですね。現地に行けないときは、メールや電話で相談に乗るなど、できる範囲、かつ全力でサポートしています。

―クリニックでの外来とオフィシャル・サポート・ドクターの活動を並行するのは、大変そうですね。

そうですね。大会が開かれるのも宮崎や仙台、バリ島など広範ですし、一度帯同すると診療に1週間ほど穴が空いてしまうので、最近は遠くへはあまり行けていないのが実情です。でも、帯同すると朝から晩まで選手が来てくれて、合宿のような雰囲気で診るという、普段の診療では経験できない時間を過ごすことができますね。選手一人ひとりと二人三脚で大会を盛り上げているような気持ちにもなります。

多くの選手と触れ合ってきて思うのは、「日本の選手が海外で活躍している姿を見たい」ということ。しかし、サーフィンに関しては専門的なメディカルサポートがほとんど確立しておらず、それが選手にとってハンディキャップになってしまう可能性もあります。医師として、わたしが全面的にこの分野に切り込んで、日本のサーフィン競技を盛り上げていきたいと思っています。

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