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「30代前半でのキャリアチェンジ」は時期尚早?悩んだ末の決断とは―林伸宇氏(医療法人社団鉄祐会祐ホームクリニック平和台)

2018年6月6日

医師8年目、30代前半という若さで、東京都練馬区の祐ホームクリニック平和台の院長に抜擢された林伸宇氏。「タイミングとしては正直少し早いのではないか」と思っていた林氏が、急性期医療から在宅医療へキャリアチェンジした背景とは――。(取材日:2018年4月17日)

急性期病院で感じた疑問

―在宅医療に興味を持ったきっかけを教えてください。

学生時代に公衆衛生のサークルに所属していたことから、高い技術を持ち、行政や社会との関わりの中で、多くの人の健康状態や幸福を高められる医師になれたら、と思っていました。

研修医として医療現場に出て、亡くなっていく多くの患者さんを見て「この人の最期の時間を、もう少しいい時間にできないものか」と強く感じるようになりました。病院が最善を尽くす一方で、いくら最善を尽くしても救えない命もあります。しかし、急性期病院で過ごす患者さんが最期の時間を大切にできているかというと、必ずしもそうではないと思っていました。

急性期病院では外来診療で症状が安定している患者さんやそれ以上の治療が望めない患者さんは、地域の診療所や療養型病院に紹介していくことが年々強く求められるようになってきており、医師が一人の患者さんに長く寄り添うことが難しくなってきています。現行の医療制度では仕方のないことですが、患者さんからすると、長い期間診てくれていた病院から違う医療機関を紹介されることは、そう簡単に納得できることではないでしょう。わたし自身、医師として患者さんが希望しないような逆紹介をしていくことは、つらかったですね。じっくりと信頼関係を築き、患者さんに寄り添って診ていたのに、その後関わりがなくなってしまうことに、やるせなさを感じていました。このような経験から、患者さんが最期の時間をよりよく過ごせる場を提供したい、患者さんに最期まで寄り添っていける場で医師として患者さんを支えていきたい、と思うようになっていったのです。

まだまだ先だと思っていた、キャリアチェンジ

―そのような思いから、キャリアチェンジを図った。

初期研修後は糖尿病内科を専門にしていましたが、将来的には在宅医療にキャリアチェンジしたいな、と何となく考えている程度でした。在宅医療に進もうと決意したのは、当院の運営元である医療法人鉄祐会の理事長・武藤真祐先生の講演を聞き、その内容に共感したからです。「人生の最期までぬくもりを感じられる社会をつくりたい。そのためには医療業界だけではなく、医療以外の人とも関わり合っていかないといけない」という言葉が自分の中にストンと落ちてきて――。在宅医療は、医療面はもちろん、介護や福祉をうまく組み合わせて、患者さんの生活を支えていきます。病院でも患者さんの人生を支えることを大切にはしていますが、よりじっくり関われるのが在宅医療なのではないか、と武藤先生の講演を聞いて思うようになったのです。

講演を聞いた後、公衆衛生分野の研究をするために東京大学大学院に進学しました。それと同時に、武藤先生が初めて立ち上げた祐ホームクリニック(東京都文京区)で、非常勤医師として勤務を開始しました。これが、在宅医療との初めての関わりでしたね。大学院卒業後は、大森赤十字病院で糖尿病内科として再び勤務を始めました。糖尿病内科にも非常にやりがいを感じていましたが、在宅医療で感じたやりがいも忘れられず、いつかは本格的に在宅医療にキャリアチェンジしたいと改めて思うようになって――。

ちょうどその頃、武藤先生が練馬区平和台に新たなクリニックを立ち上げることになり、院長を探しているという話を聞きました。自分には関係ないと思っていたのですが、武藤先生から「院長にならないか」と声をかけられたのです。いずれは在宅医療の道へと思っていましたが、30代前半でキャリアチェンジすることはあまり考えていませんでしたし、タイミングとしては正直少し早いのではないかとも思いました。しかし、クリニックの立ち上げから関わることができるのは貴重な経験ですし、大きなやりがいがあるのではないかと考え、思い切って引き受けることにしたのです。

―祐ホームクリニック平和台の運営を任され、改めて実感したことは。

スタッフのマネジメントや患者さんを増やしていくことは大変ではありましたが、それでも、当院が診る患者さん一人ひとりに寄り添って支えられることは、わたしにとって大きな喜びであることを改めて実感しました。

常勤で在宅診療に関わり始めてから、「こんなにいい医療があるとは知らなかった。もっと早く知りたかった」と言う患者さんやご家族が想像以上に多かったことに驚きました。在宅医療に関するさまざまな情報がメディアを通して発信されているのに、必要な人のもとに適切な情報が届いておらず、結果的に在宅医療を受けられないことにはまだ課題があると思いました。在宅医療のことを知らない人は、普段からテレビをあまり見ない、新聞やインターネットの情報を読まない、ご近所付き合いもあまりない、という方だと思います。そのような方々にも在宅医療を提供していくには、医師だけが頑張っても限界があるので、行政、医療・介護従事者も含め、様々な人々が協力することが重要だと思います。

必要とされている医療をしっかり届けていきたい

―在宅医療の認知度向上のために、何か働きかけはしているのですか。

当院としては、地域住民の方に対して定期的に勉強会を開催しています。他の医療機関や自治体と共同で開催することもありますね。その場合は、区報にも掲載してもらって、認知度向上を図っています。露出度が高まると興味を持ってくださる方が増え、100名ほど参加してくれた勉強会もありました。

他の医療機関や事業所との協力については――都市部で在宅医療を行っている多くのクリニックでも同様の課題を抱えていると思いますが、事業所が多い分、顔の見える関係性を築くまでに時間がかかってしまいますね。開院から3年経って、ようやく地域との連携ができていると実感できるようになってきました。今後さらに連携を深めながら、在宅医療を届けられる体制にしていきたいですね。

―最後に、今後の目標を教えていただけますか。

重複しますが、地域連携を発展させて、在宅医療が必要な方へ提供できるようにしていくこと。そして、スタッフ一人ひとりが生き生きと働ける環境をつくることです。そのような環境をつくることで、スタッフが自分の力を最大限発揮でき、それが地域に住んでいる方々の幸せにつながっていくと考えています。これはまだ道半ばなので、今後はよりそこに注力していきたいですね。

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