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コワーキングスペースを回診! 地域にコミットするクリニックの想い ―麻植ホルム正之氏(ライフクリニック蓼科)

2018年6月29日

医療者側から医療の門を狭めない――。麻植ホルム正之氏は、このような思いから2017年9月長野県茅野市にライフクリニック蓼科を開業し、患者に多様な選択肢を提供しています。「人を医療を地域からハッピーに」というビジョンの裏には、どのような思いが込められているのでしょうか。(取材日:2018年4月22日)

医療者側から、医療の門を狭めてはならない

―これまでのキャリアについて教えてください。

母が看護師で、父が開いていた英会話教室の生徒に医師が多かったことから、幼少期から周囲に医師がいる環境で育ちました。両親の周りにいる医師に魅力的な方が多く、小学校2年生の頃から医師を志していましたね。わたしはもともと開業志向が強く、将来開業するなら内科系に進んだほうがいいと思ってはいたものの、性格的には外科向きだと感じていたので、内視鏡やカテーテルといった手技が身につけられ、それを使った手術ができる消化器内科を専門に選びました。産業医科大学を卒業後は、消化器内科医として地方の病院を中心に勤務し、研さんを積みました。そのなかで、内視鏡やカテーテル治療をしても、3割の患者さんは転移や再発してしまうことを痛感。もっと根本的な治療ができないものか――キャリアを積むにつれて、そう感じるようになっていきました。

そのような思いを抱えていた時、父ががんになり、患者さん側を初めて経験したのです。治療方針を決定する際、わたしと父はサードオピニオンまでしました。ある病院では「これはもう、抗がん剤治療と化学療法です」と言われ、またある病院では「なんでもっと早く来なかったのか」とも言われました。すでに末期の状態だった父に対しての医療従事者の対応が、あまりにも一方的で冷たかったのです。わたし達は、もっと色々な選択肢の中から自分たちが納得できる治療を選択したかったのに、一方的に治療法を限定されたり、それ以前のことを言われたりして――。医療従事者がこのような態度ではいけないと痛感しました。

―そのような思いが、ライフクリニック蓼科立ち上げへとつながっていったのですか。

おっしゃる通りです。この経験から、患者さんが自らのニーズに合う治療を選択できるようになるためには、治療の多様性が重要だと感じました。もちろん、混合診療など既存の医療の枠組みから大きく外れてはいけませんが、新しい治療を取り入れた場合に効果が出そうな患者さんがいたとして、ご本人の意志で挑戦したいと考えていたら、相談を重ねた上で提供する。医療者側から医療の門を狭めず、とことん患者さん側の目線で、患者さんがハッピーになれるクリニックをつくりたいと考えるようになったのです。

整合性のとれる予防医療を

―開業の地に長野県茅野市を選んだのはなぜですか。

看護師の母がグループホームや介護老人ホームを立ち上げており、その近くで開業しようと考えていたのがまず1つ。もう1つは、多様性のある治療や予防医療を提供する環境として、地方の自然豊かで、のどかな環境が適していると考えていたからです。

都市部の方が人口は多く、予防医療に興味関心がある人の数も自然と増えるため、より多くの患者さんにリーチできます。しかし、人口密度が高く、街に出れば常に人と人がぶつかりそうな環境は、非常にストレスフル。そのような環境で予防医療に取り組むのは、整合性が取れないと感じていました。
小鳥のさえずりが聞こえたり、広く澄んだ空が見えたり、自然の移り変わりを日常生活の中で感じたりできる環境で健康づくりに取り組んだ方が、環境との一貫性があります。農業で土壌を耕し豊かな作物を育てるように、自分の体という土壌を豊かに健康に耕していく――。そんなイメージを持って予防医療に取り組める環境が、長野県茅野市にあると感じたのです。

―クリニックがある茅野市に隣接するコワーキングスペース「富士見 森のオフィス」と連携されている意図は、どのようなところにあるのですか。

クリニックがオープンする3カ月前からスタッフを雇用し、クリニックについてスタッフとディスカッションをしながら決めていきました。ディスカッションの場として利用していたのが「富士見 森のオフィス」だったのです。

わたしたちの様子を毎日のように見ていた、森のオフィスの運営者が感化されたようで――クリニックオープン後も、継続的に関わりたいと言ってくださったのです。準備期間中に運営者の方から「高いモチベーションを持ってIT業界で働いている人たちの中には、体調を崩してしまったり、精神を病んでしまったりする人もいる。それはなんとかならないか」という話も持ち上がっていました。そういった背景もあり、まずは森のオフィスで仕事をされている方々の健康を守ることから始められればと考え、森のオフィスのドクターとして、コワーキングスペースの回診を始めることにしたのです。
この他にも、森のオフィス会員向けの人間ドッグ補助や定期的な勉強会を開催しています。このような活動を今後も継続的に続けつつ、より一層当院との関わりを増やしてもらえるような企画をしていきたいですね。

「自分事」としてクリニックを捉えられるように

―なぜ、開業3カ月前からスタッフを雇われていたのですか。

スタッフ一人ひとりに「ここは自分のクリニックである」という感覚を少しでも持ってもらうことでした。開業と同時にスタッフが入職しても、クリニックのことを自分事として捉える意識が芽生えません。クリニックのミッションもどこか他人事のような感覚のまま、その背景を理解できず不満を持ち、ひいては離職につながっていきます。このような光景を、これまで経験してきた医療機関で目の当たりにしてきたので、同じ轍を踏みたくなかったのです。
毎日毎日、まるで学校のように森のオフィスに通い、「問診票にはこんな項目があったらいい」「こういうスペースを作りたい」「〇〇は誰にリーダーを任せるか」など、話し合いを重ねていました。3カ月間、毎日ディスカッションを重ねてクリニックの方針やルールなどを決めていったことで、徐々にスタッフが自分事としてクリニックのことを考えるように変化していきましたね。森のオフィスの方もそう感じていたようで、それを伝えてもらったときは、とてもうれしく思いました。

―クリニックがオープンしてから約9カ月。今後の展望を教えてください。

まずは、もっと地域住民の方々に認知してもらうことに重点を置きたいと考えています。そして、ビジョンとして掲げている「人を地域を医療からハッピーに」に基づき、敢えてクライアントと呼んでいる患者さんたちの希望を満たせるような医療を、どんどん提供していきたいですね。

人口減少が進む日本の地方では、医療従事者の枯渇が死活問題になってきます。ゆくゆくは海外の医療従事者も雇用しながら、クリニックを基盤に、地域創生にも関わっていきたいですね。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
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