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『ドクターX』の外科監修から予防医療まで。手術だけではない脳外科医のキャリア論 ―新村核氏(医療法人社団誠馨会 セコメディック病院)

2018年4月18日

テレビドラマ『ドクターX ~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)や『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』(フジテレビ系)。これらの外科手術シーンを監修したのが、医療法人社団誠馨会 セコメディック病院(千葉県船橋市)の新村核先生です。脳神経外科の第一線にいながら医療監修歴は約10年。2足のわらじに留まらず、次は総合病院の地盤を生かした予防医療事業にも乗り出そうとしています。今や3足のわらじを履こうとする新村先生のワークスタイルについて伺いました。

時間をかけてモノをつくる、医療監修の醍醐味

―『ドクターX』や『コード・ブルー』などの外科監修を務めておられる新村先生。日々、病院に勤務されている中で、作品づくりにはどう関わっているのでしょうか。

ドラマ制作には、脚本、医療台本、撮影の3段階で関わります。脚本段階ではプロデューサーと大枠の流れや医療部分を相談・確定させ、脚本家がその他のストーリー部分を肉付けして台本ができます。次の医療台本段階では担当助監督と医療シーンだけを抽出し、シーンごとに登場人物の台詞を考えたり、各役者の動きや小道具の詳細を決めたりします。それらの打ち合わせにかかる時間はそれぞれですが、1~2時間くらい電話することもあれば、ファミレスで腰を据えて3~4時間かけることもしばしば。1話あたりの手術シーンが複数回の時は、打ち合わせの回数がさらに増えていくことになります。ドラマ中の症例は、基本的にはわたしが経験したものをもとにしていますが、脳神経外科以外の場合は専門の医師にヒアリングをしたうえで進めていきます。

最終段階となる実際の撮影は、手術のワンシーンであっても大体丸1日かかります。そこでは、役者の皆さんに外科手技からコメディカルの動きまで細かくアドバイスをします。撮影中に心がけているのは、医療的に間違っていると思う場面があれば、ただ「違います」と口を挟むのではなく、どうしたらより良くなるのかという改善案をお伝えすること。最終的に役者の皆さんが自信を持って演技できる状況を作り出すことが、撮影現場における医療監修医の役割だと思います。そうこうして撮影が終われば、次の回の脚本打ち合わせが始まり、以上の3段階を繰り返していきます。

―かなりの時間を割いて関わるのですね。そんな中、先生にとっての医療監修のおもしろさとは何でしょうか。

シンプルに、モノを一緒に作り上げることがおもしろいです。しかも、日本各地で放送されるテレビドラマは反響がとても大きく、ある種のやりがいも感じます。そして大変嬉しいことに、わたしのもとで手術をしたいと申し出てくださる患者さんもいてモチベーションが高まりますね。わたし自身も手術をやり続けたい気持ちがありますし、「日本脳卒中の外科学会」における技術指導医の資格も有していますので、常に手術実績の維持向上に努めています。

―医療監修を10年間続けてこられた中で、印象に残るシーンはありますか。

脳外科手術における「覚醒下手術」を題材にした回が印象に残っています。「覚醒下手術」とは、言語や身体に障害が出る領域の位置関係を確認しながら病変部の切除ラインを決める手術で、患者さんとコミュニケーションをとりながら進めるという特徴があります。このコミュニケーションの部分がドラマ制作者たちの腕の見せ所で『ドクターX』では、患者さん本人が秘密にしていることを手術中に自らカミングアウトさせてしまうという演出、『コード・ブルー』では患者である息子と幼少の頃に別居した父親が会話をして、赤の他人同様の状況から親子の会話になっていくという感動の演出を作りました。どちらも会話メインのシーンではありますが、その際も、術中の道具の持ち方やふるまい方には気を抜かずに監修しました。少しでも違和感があるとインターネットで話題になる時代ですから、詳細な動きまで手取り足取り教えることを意識しています。

『ドクターX』医療監修中の様子(新村核先生よりご提供)

手術スキルを高めるために退局、一民間病院へ

―医療監修を行う前、脳外科医としてどのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか。

そもそも脳外科を専門にしたきっかけは、わたしが小学生の時、脳卒中で倒れた祖父の手術をしてくれた先生が、とてもイキイキと働いているように映ったからです。その後大学は出身地の東北大学に進学し、そのまま大学医局に入局。医局の勧めで2年半、アメリカで小児のてんかん外科の臨床研究をしていたこともありました。その実績もあり国立精神・神経センター武蔵病院(現 国立精神・神経医療研究センター病院)にて、てんかん外科を中心とした脳外科の経験を積み、その後、2009年に医局を離れるという大きな決断をして森山記念病院に入職しました。

―医師14年目で退局し、一民間病院である森山記念病院に入職されたきっかけは。

手術実績で名高い福島孝徳先生や堀智勝先生のもとで、自分の手術スキルを高めたいと思ったからです。確かに、医局人事から離れるのには勇気と覚悟がいりましたが、たくさんの難易度の高い手術をこの目で見られ、そして多くの脳外科手術を自ら執刀できたことは、とても大きな収穫だったと思います。手術については、わたし自身の気力と環境が許す限り生涯続けていくつもりです。

医療監修の声がかかったのは、わたしが森山記念病院に入職して2年目、39歳の時。とあるドラマ中に登場する脳外科医がアメリカで成功しているスーパードクターという設定で、その監修依頼が病院にきていました。その相談中、偶然わたしが通りがかったところに「やってみないか」と声がかかったという経緯で、このご縁がなければ全然違う人生になっていたでしょう。

―手術スキルを高めつつ、医療監修をする。森山記念病院で2足のわらじを履いていたにも関わらず、現在のセコメディック病院に入職された理由は何でしょうか。

一定数の手術をしつつ、医療監修や予防医療といった臨床+αのことに挑戦し続けたかったからです。先ほども申し上げた通り、森山記念病院には手術スキル向上のために入職し、日々脳外科の臨床に明け暮れていました。その一方で、医療監修や予防医療というわたしの潜在的なキャリアビジョンは臨床生活の中に埋もれてしまっており、自身でも見て見ぬふりをしていました。ただ入職から10年、ある程度の手術スキルが身に付いたと思った時、ふと「これから一医師としてどう生きたいのか」という気持ちが芽生えたんです。

そんな悩みを抱えている時に、わたしの考えるワークスタイルをすべて受け入れてくれたのがセコメディック病院でした。現事務長がわたしの働き方や予防医療への考え方に共感してくださり、さらにはわたしの手術環境の整備や事業投資などにも積極的にサポートしてくださっているので大変感謝しています。おかげさまで現在のところ、同僚の先生方に「医療監修をやる」と伝えて外部に出る環境を持たせていただく傍ら、週1~2件の開頭手術を行っています。また、現在の職場には新進気鋭の女性脳外科医がいらっしゃるので、その方にどんどん手術の指導をしています。

臨床以外の視点が双方向にプラスになる

―先ほどからお話が出ている予防医療とは、どのような構想なのでしょうか。

わたしは日々脳卒中の患者さんに、手術を含めた診療を行っていますが、脳卒中に罹患する原因として生活習慣が大きく関係しているというのは周知の事実です。社会復帰された術後患者さんの多くは「もう二度と脳卒中になりたくない」と、当初は食事や運動に気を遣いますが、時間が経てばその習慣も元に戻ってしまうことが少なからずあります。この状況を変えたかったのと、自分自身が健康長寿に興味を持っていましたので、30歳前後の頃から予防医療に意識が向いていました。

その一環として、日本抗加齢医学会(アンチエイジング学会)の専門医を取得。そこで得た予防医療の知識を外来などの場で患者さんに伝えてきましたが、どうしても限定的になることが気がかりでした。だからこそ、わたしは予防医療というものを体系的に、しっかりと行いたいと常に考えていました。そして今、ようやくその準備段階にまで差し掛かったという状況です。

―その具体的な取り組み内容を教えていただけますか。

主になるのは自由診療の枠組みで行う、SNSアプリを用いたアンチエイジング的生活習慣の確立サポートです。具体的には、体重および体脂肪率、食事の写真などの登録、1日の活動量や睡眠時間量を専用のウェアラブル端末を通じてデータ化。担当カウンセラーをつけてこれらのデータを確認しながら1日3回、チャットで生活習慣のアドバイスをします。加えて、月2回はわたしが外来で総合カウンセリングを担当する。これらを3カ月行うのが基本プランになり、その流れから得られる規則正しい生活を通して、予防医療を前提とした“本当のアンチエイジング”を広めたいと考えております。

この取り組みを総合病院が行う良さは、すでに必要なリソースがそろっていること。各種検査機器があるのはもちろん、運動が必要であればリハビリスタッフ、食事改善が必要であれば管理栄養士に相談できますし、もし途中で治療が必要になれば各診療科につなぐこともできます。

―総合病院で、新村先生が臨床外のことに取り組む、その理由を教えてください。

臨床、ドラマ、予防医療、1つ1つの活動が双方向でプラスに働くからです。例えば、あらゆる手術経験は医療監修で自信を持ってお伝えするのに生かせますし、ドラマの撮影現場で女優さんの生活習慣を聞けば新たな予防医療のアイディアを考えることができます。そして、監修したドラマが放送されたら患者さんからの反応もある。こうした好循環を生み出せるのが、それぞれを両立するいいところですね。

常勤先を持ちながらも、このような活動ができているのは所属病院の理解も大きいので、双方が納得できる環境を整えることも大切なのではないかと思います。実際、今取り組んでいる予防医療事業が実現すれば、わたしはやりたいことを実現でき、病院は利益を得られ、地域の皆さんは健康になる。3足のわらじは、マイナスになるどころかプラスに働くと信じています。

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