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医療支援に行った医師が、地域の伝統行事に打ち込む理由―小鷹昌明氏(南相馬市立総合病院)

2018年4月14日

東日本大震災の翌年、大学准教授を辞め、南相馬市立総合病院の神経内科医として赴任した小鷹昌明氏。医療支援ということもあり、赴任当初は1~2年で南相馬市を離れるだろうと考えていたものの、「医療支援だけではだめだ」と気付き、コミュニティの再構築に奔走します。小鷹先生が赴任して丸6年が経過した今、南相馬市にはどのような変化が生まれたのでしょうか。(取材日:2018年2月27日)

大学病院での将来像が思い描けなかった

―准教授を辞し、南相馬市立病院に赴任した経緯を教えてください。

わたしは大学を卒業後、医師として比較的順調にキャリアアップしていたと思います。ところが、大学で准教授に就任した頃から、「自分はこれでいいのか?」という漠然とした思いを抱くようになっていました。立場上、医局をまとめなければいけなかったり、医局員の面倒を見たりと、管理的な業務が多くなっていって―。現場とのかい離、そして、自分自身が医療の原点を見失いかけていると感じるようになりました。そもそも、わたしには教授になるという将来像が思い描けなかった。大学病院に残るよりも臨床現場にいる方が、少しは自分を活かせるのではないかとも考えたのです。そのような思いを抱いていた時に、東日本大震災が起こりました。

初めて福島県の被災地を自分の目で見たのは、2011年8月。震災から5カ月後のことでした。知り合いの医師に連れて行ってもらい、南相馬市や相馬市、飯舘村などを巡り、南相馬市内の病院を視察させてもらいました。その2カ月後、大学病院に残り続けるか、それとも、今までのキャリアをリセットして被災地に行くのかを天秤にかけ、医療の原点に立ち返るため、そしてより必要とされている地域に行きたいと思い、南相馬市の臨床現場に行くことを決意したのです。

正直なところ、「被災地の医療支援がやりたい」と強い使命感を持っていたわけではありませんでした。もし東日本大震災が起こらなかったら、大学病院を辞めて別の地域の病院に行っていたかもしれません。南相馬市立病院に赴任が決まっても、被災地の医療支援ということもあり、1~2年で別の地域に移ることになるだろうと考えていました。

医療支援だけでは、問題解決にならない

―1~2年の勤務と思っていたにもかかわらず、赴任後6年が経ちます。何か心境の変化があったのですか。

心境の変化というより、赴任してすぐ、診療だけをしていてもこの地域の問題は解決しないと理解したためです。

わたしが当院に赴任した頃から、孤独死が社会問題になりつつありました。震災で家族が離散し、思うように病院を受診できない患者さんがいたり、病気ではなくとも仮設住宅でもんもんとした思いを抱えながら一人で暮らしている方がいたり―。このような方々は徐々に引きこもるようになり、やがて孤独死につながっていきます。それを防ぐために必要なのは、コミュニティの再構築。そう考えたわたしは、市民活動を始めました。市民活動は、1~2年程度では一定の成果が得られません。自分自身が楽しんでいたことも大いにありますが、気付けば丸5年が経っていました。これについては、わたしも想定外でしたね。

―市民活動とは、具体的にどのようなことをしてきたのですか。

阪神淡路大震災の教訓で、震災後の孤独死率が高いのは、中高年男性で一人暮らし、そして慢性疾患のある方と分かっていました。そこで、孤独死の可能性が高い方が引きこもらないよう、「引きこもり(H)お父さん(O)引き寄せ(H)プロジェクト(P)(=HOHP)」を始めました。HOHPは、希望とかけて“ホープ”と読ませています。

最初にやったことは、2013年1月に始めた「男の木工教室」。毎週1回集まり、テーブルや棚などの木製品を製作、復興支援の一環で納品していきました。長らく帰還困難区域に指定されていた南相馬市小高区の住民に、馴染みのある味を懐かしんでもらおうと、小高区で飲食店を経営していたシェフをゲストに招いた「男の料理教室」も開きました。他にも週1回、仲間とともにランニングを楽しむ「チームM4」を作ったり、「避難解除復興祈念駅伝」を開催したりしています。

―現在、それらの活動はどのように発展していますか。

活動を始めた当初は、震災によって崩壊したコミュニティの再構築を目的にしていました。しかし、震災から7年経った今では、住民の状況に変化もあり、参加者のニーズも多様化しています。そのため、目的や形を変えて継続している活動、役割を終えて終了した活動、新たに始めた活動などさまざまな形の活動があります。

例えば、引きこもりがちな中高年男性を引き寄せる目的で始めた男の木工教室では、孤独な方は減ってきましたね。現在では、純粋に趣味として続けている方や脳梗塞後のリハビリとして活用している方、社会の役に立てていることがやりがいにつながっている方、友人とおしゃべりすることを楽しみに来ている方など、参加する理由が多様化してきています。

男の料理教室は、役割を終えたので終了しました。2016年7月に小高区の帰還困難区域指定が解除され、飲食店も何軒か再開し、住民の生活が戻り始めているためです。

ランニングチームは現在も継続しています。2017年の避難解除復興祈念駅伝では、南相馬市の3区、鹿島区・小高区・原町区を1本のたすきでつないで走りました。2018年には、2017年3月に一部の地域を除いて全域避難指示が解除された浪江町まで、距離を延長して開催、南相馬市と浪江町をたすきでつなぐ予定です。

地域の文化を楽しむことで、地域が元気になる

―小鷹先生はご自身の活動を通して、地域にどうコミットしていきたいと考えているのですか。

南相馬市に来た当初は「こういうことをして、地域を活性化しよう」と、さまざまなことを考え意気込んでいましたが、それは非常におごり高ぶった態度だと気付かされました。県外から来た人間が、その地域の文化や伝統に興味を持ち、好きになり、一緒に楽しむ。それが地元住民の方にとって一番うれしいことであり、地域の活性化につながります。このことに気が付いたのは、相馬地域の伝統行事である相馬野馬追に参加するようになってからです。

相馬野馬追に参加するようになったのは、格好よくて楽しそうだったから。毎日乗馬の訓練をするわたしの姿を見た地元の方が、「頑張っているから教えてあげるよ」「一緒に楽しもう」と、一生懸命教えてくれるようになりました。すると、地元の方々のために頑張りたい、期待になんとか応えたいと、気持ちが変化していったのです。そして、自分が野馬追を頑張れば頑張るほど、応援してくれる人たちが活気付いてきました。この地域にゆかりのないわたしでも、地元に溶け込んで、住民と一緒に何かを楽しむ。それが復興への近道なのではないか―。今はそう考えています。

―医療面ではいかがでしょうか。

病院に関する課題は病院全体で、介護に関する課題は住民も巻き込みながら考えていかなければいけないと思っています。

例えば当院では、医療支援で来られていた方たちが帰るなどの理由から、2018年度には医師が5人減ります。医師一人ひとりの業務負担が増えるだけではなく、医師が減ることで現状の教育体制を維持できなくなると、研修医が来なくなってしまう―。このように、現在だけでなく、地域の未来に関わるような課題も発生してしまうのです。
院外に目を向ければ、介護施設は以前より少し増えました。しかし、介護の担い手不足は改善されていないので、施設を100%稼働させることができていません。一方で、介護を必要とする方は確実に増えています。

ただわたし個人としては、これからも肩肘張らずに、地域の方々と一緒にさまざまなことを楽しんでいきたい。地域のコミュニティに溶け込みながら、引き続き医療支援を続けていきたいと思っています。

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