北海道札幌市から車で西南に向かうことおよそ2時間。人口1万4000人の岩内町で地域医療を実践する岩内協会病院に、畑違いの分野から飛び込んだのが指原俊介氏です。もともと研究者・産業医として歩んできた指原氏が、臨床医として本格的にキャリアをスタートさせたのは50代になってから。縁もゆかりもなかった岩内町で地域医療に携わるようになってから3年あまり経つ現在の思いを伺いました。
産業医経験を経て50代から臨床医の道へ
―現在の取り組みについて教えてください。
岩内協会病院で内科医として働きながら、これまでの経験を活かして月2回産業医として東京に赴任しています。
岩内協会病院は、岩内町はもちろん、隣接する共和町、泊村、神恵内村をはじめ、広範囲からの患者さんを受け入れる総合病院で、地域からの期待も大きい。2次救急にも対応しているものの、医師不足が顕在化しており、常勤医師6人で圧倒的なニーズへの対応を求められています。現在は医師会や近隣の市町村とも協力しながら、地域包括ケアシステムの構築を模索しているところです。
さまざまな人と協働して地域包括ケアを構築していくことは、単なる健康づくりというだけではなく、町おこしにもなるはず。産業医経験も生かして、高齢者だけでなく、地場の企業や勤労者にとってもメリットが大きい仕組みをこの街に構築していきたいと思います。
―もともと産業医としてキャリアを積んできた中で、なぜ50代から北海道の地域医療に携わるようになったのですか?
50歳を数年過ぎ、今後の人生を考えたときに、「実際の臨床現場で地域の役に立ちたい」と思いました。その一方で、産業医科大学卒業後に臨床研修医や数年間の労災病院での勤務経験はあったものの主として研究の道へ進み、その後は産業医として歩んできたため、圧倒的に臨床経験が足りないことも自覚していました。
「まずは自分を必要としてくれる医師不足の地域で臨床経験を積もう」と考え、候補に挙がったのが、北海道。以前から医師不足だとは聞いていましたし、知人からの紹介もあって、2011年度から2014年度にかけて北海道社会事業協会函館病院と岩内協会病院にて、臨床スキルを学びました。その後、東京都内で在宅医療に携わったりして高齢者医療や地域包括ケアの重要性を痛感。縁あって2015年4月、再度岩内協会病院に赴任しました。
―かなりの行動力ですね。
ありがとうございます。ただ、わたし自身は自分に行動力があるとは思いません。計画性があって今のキャリアを歩んでいるわけでもありませんし、結果的にこうなってしまった、というところが大きいですから。
50代から本格的に臨床医としてキャリアを歩んでいくことに不安がなかったわけではありませんが、函館病院と岩内協会病院での修業しかり、周囲には多くのサポートをいただいたと思います。臨床医療の基本的な手技も惜しみなく教えてくれたり、手術見学の機会を何度もつくってくださったり、「60歳までだったらまだ一人前にできる」と、鼓舞してくださった先生もいらっしゃいました。現在、内科医として現場に立っていられるのは周囲に恵まれたからこそだと感じています。
日本の地方は”医療先進地”
―岩内協会病院で医療に従事して3年、今後の展望を教えてください。
医師も足らず、高齢化率も高まっているこの地域は、ある意味で先進地だと思うのです。圧倒的な医療リソース不足にどう対応するか、医学的な判断だけでは対応しきれない終末期の患者さんにどう向き合うか―未だかつて人類が経験していないような高齢社会では、つきつめて考えていくと、「薬一つ出すのも本当に難しい」と感じます。ただ、その難しさを解決する鍵が、患者さんや地域に向き合っているうちに、いつか見つかるような気がします。
都市部での高齢化が叫ばれている現在、10年後15年後、岩内と同じようなことが、都市部でも起こるかもしれません。そうした時、この地での経験や実績が先進事例としてとりあげられるような仕事の進め方が必要です。岩内発で、高齢社会に対応できるような地域包括ケアシステム・健康管理をまとめるようなプロジェクトをつくっていくこと、それが現在のモチベーションです。
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