1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 50代で臨床医に転向 単身で北海道に降り立ったわけ―指原俊介氏(岩内協会病院)
事例

50代で臨床医に転向 単身で北海道に降り立ったわけ―指原俊介氏(岩内協会病院)

2016年12月28日

shunsuke_sashihara01

北海道札幌市から車で西南に向かうことおよそ2時間。人口1万4000人の岩内町で地域医療を実践する岩内協会病院に、畑違いの分野から飛び込んだのが指原俊介氏です。もともと研究者・産業医として歩んできた指原氏が、臨床医として本格的にキャリアをスタートさせたのは50代になってから。縁もゆかりもなかった岩内町で地域医療に携わるようになってから3年あまり経つ現在の思いを伺いました。

産業医経験を経て50代から臨床医の道へ

―現在の取り組みについて教えてください。

岩内協会病院で内科医として働きながら、これまでの経験を活かして月2回産業医として東京に赴任しています。

岩内協会病院は、岩内町はもちろん、隣接する共和町、泊村、神恵内村をはじめ、広範囲からの患者さんを受け入れる総合病院で、地域からの期待も大きい。2次救急にも対応しているものの、医師不足が顕在化しており、常勤医師6人で圧倒的なニーズへの対応を求められています。現在は医師会や近隣の市町村とも協力しながら、地域包括ケアシステムの構築を模索しているところです。

さまざまな人と協働して地域包括ケアを構築していくことは、単なる健康づくりというだけではなく、町おこしにもなるはず。産業医経験も生かして、高齢者だけでなく、地場の企業や勤労者にとってもメリットが大きい仕組みをこの街に構築していきたいと思います。

―もともと産業医としてキャリアを積んできた中で、なぜ50代から北海道の地域医療に携わるようになったのですか?

50歳を数年過ぎ、今後の人生を考えたときに、「実際の臨床現場で地域の役に立ちたい」と思いました。その一方で、産業医科大学卒業後に臨床研修医や数年間の労災病院での勤務経験はあったものの主として研究の道へ進み、その後は産業医として歩んできたため、圧倒的に臨床経験が足りないことも自覚していました。

「まずは自分を必要としてくれる医師不足の地域で臨床経験を積もう」と考え、候補に挙がったのが、北海道。以前から医師不足だとは聞いていましたし、知人からの紹介もあって、2011年度から2014年度にかけて北海道社会事業協会函館病院と岩内協会病院にて、臨床スキルを学びました。その後、東京都内で在宅医療に携わったりして高齢者医療や地域包括ケアの重要性を痛感。縁あって2015年4月、再度岩内協会病院に赴任しました。

岩内病院map―かなりの行動力ですね。

ありがとうございます。ただ、わたし自身は自分に行動力があるとは思いません。計画性があって今のキャリアを歩んでいるわけでもありませんし、結果的にこうなってしまった、というところが大きいですから。

50代から本格的に臨床医としてキャリアを歩んでいくことに不安がなかったわけではありませんが、函館病院と岩内協会病院での修業しかり、周囲には多くのサポートをいただいたと思います。臨床医療の基本的な手技も惜しみなく教えてくれたり、手術見学の機会を何度もつくってくださったり、「60歳までだったらまだ一人前にできる」と、鼓舞してくださった先生もいらっしゃいました。現在、内科医として現場に立っていられるのは周囲に恵まれたからこそだと感じています。

日本の地方は”医療先進地”

shunsuke_sashihara02―岩内協会病院で医療に従事して3年、今後の展望を教えてください。

医師も足らず、高齢化率も高まっているこの地域は、ある意味で先進地だと思うのです。圧倒的な医療リソース不足にどう対応するか、医学的な判断だけでは対応しきれない終末期の患者さんにどう向き合うか―未だかつて人類が経験していないような高齢社会では、つきつめて考えていくと、「薬一つ出すのも本当に難しい」と感じます。ただ、その難しさを解決する鍵が、患者さんや地域に向き合っているうちに、いつか見つかるような気がします。

都市部での高齢化が叫ばれている現在、10年後15年後、岩内と同じようなことが、都市部でも起こるかもしれません。そうした時、この地での経験や実績が先進事例としてとりあげられるような仕事の進め方が必要です。岩内発で、高齢社会に対応できるような地域包括ケアシステム・健康管理をまとめるようなプロジェクトをつくっていくこと、それが現在のモチベーションです。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    「深刻な問題だ」救急科新設した30代医師の挑戦―柴崎俊一氏

    医学生時代から、いずれ茨城県内の医療過疎地に貢献したいと考えていた柴崎俊一先生。医師8年目で1人、ひたちなか総合病院に飛び込み、救急・総合内科を新設します。診療科を新設し、病院内外に根付かせるにはさまざまな苦労がありますが、どのように取り組まれたのでしょうか。

  • 事例

    LGBTQs当事者の医師がカミングアウトした理由―吉田絵理子氏

    川崎協同病院(神奈川県川崎市)総合診療科科長の吉田絵理子先生は、臨床医の傍ら、LGBTQs当事者として精力的に活動しています。不安を抱えながらもカミングアウトをし、LGBTQs当事者の活動を続ける背景には、ある強い想いがありました。

  • 事例

    院長のラブコール「帰ってこい」Uターン医師の新たな挑戦―光田栄子氏

    お看取りのあり方に課題を感じ、介護士から医師に転身した光田栄子先生。諏訪中央病院を経て、現在、岡山市内のベッドタウンにある有床診療所「かとう内科並木通り診療所」に勤めています。地元にUターンした光田先生がこれから取り組んでいきたいことについて、お話を伺いました。

  • 事例

    「診療科の隙間を埋める」院長の挑戦とは―中山明子氏

    大津ファミリークリニック(滋賀県大津市)院長の中山明子先生。外来、訪問診療をしながら、家庭医として、相談先を見つけにくい思春期の子どもや女性のケアに力を入れています。

  • 事例

    最期まで自分らしく生きる「緩和ケア」を文化に―田上恵太氏

    最期までその人らしく生きるためには、病気や人生の最終段階に生じるつらさを軽減する緩和ケアの普及が必要だと感じた田上恵太(たがみ・けいた)先生。現在は東北大学病院緩和医療科で「緩和ケアを文化に」することを目標に、臨床・研究・社会活動の3点を軸に取り組みを進めています。

  • 事例

    1年限定のつもりが…在宅診療所で院長を続ける理由―細田亮氏

    千葉県鎌ケ谷市にある「くぬぎ山ファミリークリニック」の院長・細田亮(ほそだ・とおる)先生は、2015年、1年間限定のつもりで同クリニックの院長を引き受けました。ところが、院長のまま6年目を迎え、現在はクリニックの新築移転も計画中です。今もなお院長を続ける理由とは――?

  • 事例

    医師の夢“ちょっと医学に詳しい近所のおばさん”―吉住直子氏

    医師としてフルタイムで働きつつ、地域での社会活動にも尽力している吉住氏。「幅広い世代が集まる場所」をつくろうと、奮闘しています。なぜ、忙しい時間を縫って社会活動をするのか。どのような医師を目指しているのかを伺いました。

  • 事例

    元ヘルパー医師が考える、引き算の医療―吉住直子氏

    臨床検査技師や介護ヘルパーを経て、呼吸器内科医となった吉住直子氏。研修先や診療科を選ぶ際は、常に「理想的な高齢者医療」を念頭においていました。実際に診療を始めると、前職の経験がプラスに作用することがあるとか。また、以前は見えなかった新しい課題も浮き彫りになってきたと語ります。

  • 事例

    2つの職を経た女医が、介護にこだわる理由―吉住直子氏

    「ちょっと医学に詳しい近所のおばさんを目指している」と朗らかに話すのは、医師の吉住直子氏です。医学部に入るまでは、臨床検査技師や介護ヘルパーの仕事をしていて、介護現場に立つうちに医師になろうと決意しました。どのような思いで、医師というキャリアを選んだのでしょうか。インタビューを3回に分けてお届けします。

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ―森本真之助氏

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 人気記事ランキング