日本のおよそ20倍もの面積を保有しながらも、人口は日本の6分の1 に満たないオーストラリア。人口当たり医師数は日本以上とは言え、東海岸の特定地域に人口が集中しており、へき地医療の充実は、国を挙げての課題だったそうです。今回取り上げたのは齋藤学氏。齋藤氏は臨床医として働きながら、「へき地医療先進地」とされるオーストラリアのノウハウを日本に輸入しようと、合同会社ゲネプロを設立。2017年春から離島・へき地で活躍したいという医師に向けて教育プログラムを提供する予定です。オーストラリアは一体何が違うのでしょうか。齋藤氏の目算とは―。
離島・へき地医療教育プログラムの始動
―なぜ、オーストラリアのへき地医療に注目されたのでしょうか。
もともとは、「どうしたら離島・へき地の医療を多くの医師に知ってもらえるか?」という思いが出発点でした。そんなとき思いついたのが、「海外の先進事例に学べる環境をつくってはどうか」ということ。
日本国内には、「北米式の医療が学べる」「課題先進国のノウハウが学べる」というようなことを魅力の一つとして打ち出し、注目を集めている医療機関がいくつか存在しています。そこで離島・へき地を盛り上げるために参考になりうる課題先進国はどこかとわたしなりに情報収集した結果、たどり着いたのがオーストラリアだったんです。
―オーストラリアの医療の特徴はどんなところにあるのでしょうか。
広大な国土に多くの医療困難地域を抱えているオーストラリアでは、“Rural Generalist”(RG)と呼ばれる専門の医師がへき地医療を支えています。彼らは診療所で働きながらも、必要があれば全身麻酔をかけたり、外科手術をしたり、緊急の分娩に対応したり、あるいはフライングドクターとして患者搬送を行ったりして、へき地で闘っています。総合診療医、救急医、麻酔科医、外科医、産婦人科医などさまざまな出自の医師が、RGになるべく専門の研修プログラムを受けますが、非常に競争率が高く、オーストラリアでも一定の地位を確立したものとなっています。
わたしが立ち上げた合同会社「ゲネプロ」では、そうしたRG養成の研修プログラムを日豪の医学教育専門家が協力して日本流にアレンジ。日本の離島で経験を積んだ後、へき地医療先進地であるオーストラリアで実際に診療経験を積むことができるという内容で、「日本版離島へき地プログラム:Rural Generalist Program Japan」として、2017年春から提供する予定です。
―「Rural Generalist Program Japan」について、もう少し詳しく教えてください。
研修期間は15カ月間。そのうち12カ月間は臨床医として働きながら、国際学会でも通用する語学力を身に付けたり、テレビ電話を通してオーストラリアの医師を交えた症例検討会などを行う予定です。わたしとオーストラリア人医師が定期的に派遣先病院を訪問して、直接指導やアドバイスを行う「クリニカル・ビジット」の導入も検討しています。
残りの3カ月は、オーストラリアのへき地医療のチームに合流して、1年間培った診療能力や語学力を発揮していただきます。また、期間中に1回はオーストラリアのへき地医療学会で学会発表することも課すようにしていきます。
―2017年度からの募集に対する反応はいかがですか。
2017年度の受講生は約20名の問い合わせがありそのうちの6名に決まりました。彼らのうち4名が長崎県上五島病院へ、2名が鹿児島県徳之島の宮上病院へ行くことになりました。どちらも人口2万人を超える大きな島で、多様な疾患を診ながら研さんを積むことができる地域となっています。
離島医を育て、循環させる仕組みを作りたい
―齋藤先生ご自身は、どのような思いでへき地医療に携わるようになったのですか。
もともと医学生時代から「何でも診られる地域の医師になりたい」という思いが強く、順天堂大学医学部を卒業後、初期研修で救急・麻酔・集中治療を中心に学び、麻酔科に進みました。その後、初期研修で学んだ総合診療的なスキルをより深く勉強したいと思って行きついたのが、沖縄県の浦添総合病院でした。浦添総合病院では救急科の立ち上げや研修教育の整備、ドクターヘリなど、6年半でさまざまな経験をさせていただきました。
―離島やへき地医療への興味は、当時から強かったのですね。
そうですね。ただ、大きな転機となったのは、師事していた井上徹英先生から「離島こそ最大の総合診療の現場だ」と言われ、鹿児島県の徳之島徳洲会病院に総合内科部長として赴任したことです。
それまで医師として一定の研さんを積んできたつもりでしたが、離島では胃潰瘍の治療など、これまでできていたことが、自分一人では全くできていないことを痛感。「医者になってからの10年間は一体何だったのか」と自己嫌悪に陥りました。同時に、離島で求められている総合診療力を効率的にトレーニングできる教育体制の必要性を感じました。
―当時の原体験が、Rural Generalist Program Japanに反映されている。
はい。「ピンチヒッターの医師集団をつくらなければ離島医療は成り立たない」という危機感も当時は大きかったですね。
たとえば、鹿児島県下甑島(しもこしきしま)唯一の診療所を守っていた先生がけがをされ、急きょ代診が必要になったことがありました。すぐに代診が決まらず、困りはてて連絡をくれた事務長からの依頼を受けたわたしが行くことになりましたが、この現実を目の当たりにし、「離島医が倒れてもすぐにサポートできる集団を組織していかなければ」、と。
こうした思いからゲネプロを2015年9月に設立しましたが、離島医の育成機関としても、志を持った医師同士のネットワークとしても機能させていきたい。
Rural Generalist Program Japanを修了した医師には、オーストラリアへ臨床留学する、離島の病院で働く、縁のある地域で教育プログラムを旗揚げするなど、一連の経験を通じて培った経験と知識をもとに、それぞれのキャリアを築いてもらいたいですね。
「夢を70%実現させること」を目指してほしい
―齋藤先生の原動力は、どこにあるのでしょうか。
個人的な原動力は、「生まれ故郷の千葉県旭市で何でも診られる医師として舞い戻ること」。そのためにも、まずは現在感じている「課題」を解決しなければならないと考えています。たとえば、ゲネプロで育成した離島・へき地で通用する医師が全国各地に広がれば、離島・へき地医療の体制は今より良くなると思います。そのような状況をつくってから、地元でお世話になった人たちに恩返しをしていきたいですね。
―最後に離島・へき地医療に少し興味を持ち始めた方にメッセージをお願いします。
「無医村に行きたい」「発展途上国に行きたい」など、さまざまな夢を持って医師になる方は多いでしょう。ところが、研修医になると日々忙殺され、少し余裕が出てくると専門医取得、家族ができるなど公私共にさまざまなイベントが続きます。
そのような状況で、職場を辞めて夢を100%実現させるのは難易度が高いと言えます。
しかし、70%程度実現させることなら可能だと思いませんか。最初の一歩さえ踏み出してしまえば、1カ月だけへき地に行くこと、1週間だけ代診で離島に行くことなどは、さほど難しくはないのではないでしょうか。今回お話したRural Generalist Program Japanだけでなく、今後もわたしは、「離島やへき地って、案外すぐ行けるものなんだ」と思ってもらえるプログラムをつくっていく予定です。「ちょっとだけでもチャレンジしてみたい」と思ったら、ぜひ一歩踏み出してみてください。それによって、離島・へき地で働ける医師が1人でも増えれば本望です。
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