1. m3.comトップ
  2. キャリアデザインラボ
  3. キャリア事例
  4. 事例
  5. 地域に“浸けて”鍛える研修とは?-宮地 純一郎氏(浅井東診療所)
事例

地域に“浸けて”鍛える研修とは?-宮地 純一郎氏(浅井東診療所)

2016年11月11日

miyachi_3-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

北海道家庭医療学センターなどで学び、家庭医として研さんを積んできた宮地純一郎氏。現在は、滋賀県長浜市の浅井東診療所の副所長を務めながら、研究、医学生や若手医師、家庭医療学会認定指導医の教育に精力的に取り組んでいます。そんな宮地氏が考える、診療所で教育する意義とは。

「人の変化」をみるために、家庭医の道へ

-家庭医を目指そうと考えた理由を教えてください。
そもそもわたしが医師を志したのは、人の変化に関わる仕事に就きたかったためです。大学卒業後は、心の変化を診る精神科か、成長という変化を診る小児科に進むつもりでしたが、糖尿病など慢性的な疾患を抱えた患者さんに寄り添うことも人の変化に関わる仕事であると感じ、考えが一変。地域に身を置き、病気のみならず、患者の変化にも焦点を当てて診られる医師になりたいと思うようになりました。

「病気、そして患者自身の心の変化にも向き合いたい」と考えた一方で、大学時代はどの診療科に進むのか悩みました。臨床実習を通じて、どんな診療科にも、患者の病気だけでなく人間性に向き合っている先生に出会うことはできましたが、そのようなことができるのは、人に対するまなざしの温かさ―つまり人間性によるものであり、臨床経験を積むだけで自分にも同様のことができるとは到底思えませんでした。
そんな中、大学5年生のときに先輩から教えてもらったのが、北海道家庭医療センターという「家庭医療学」に基づいた医療を実践している組織でした。それまでは家庭医療という分野すら知らなかったのですが、患者の気持ち、社会的な立場、居住地域の文化がその人の持つ病気に与える影響を多様な学問の知見を生かしながら理解し、一人の人全体を診ることを専門にするという学術性に惹かれました。「人間性ではなく、学問が基盤になっているなら、わたしのように未熟であっても、患者を一人の人間として診る医療を身につけられるかもしれない」と、家庭医の道に進むことを決意しました。

現在は、北海道家庭医療学センターの事業所である、滋賀県長浜市の浅井東診療所で診療に携わりながら、見学や研修に来る医学生や医師の指導にあたっています。また、京都大学医学教育推進センターで「地域密着型」と言われる医師が育つプロセスについての質的研究や、北海道家庭医療学センターのフェローシッププログラムの企画運営と指導を行っています。

地域に「浸ける」

浅井東診療所_地図-なぜ、教育に力を入れているのですか。

学生時代に言われた「先人たちが研究して積み上げてきた医療の上に、今、皆さんは立っている。できればその上に少しでも何か積み上げる仕事をしてください」という言葉に共感したからです。わたし一人が良い医療を実践するのではなく、わたしが教える立場に立って、良い医療提供をできる医師を10人育てるほうがやりがいがあると思っています。

家庭医療の必要性が叫ばれている一方で指摘されているのは、家庭医療を教えられる人材不足です。わたしは10年の間に、北海道や岐阜県などにある医学生・専攻医教育の実績を持つ診療所で、診療と教育両方のスキルを磨いてきました。これまで多くの医学生や若手医師教育に携わりましたが、さまざまな診療所で経験を積んだことがすごく活きていると感じています。慢性疾患によって日常生活に支障をきたしている患者が増えていく現代、医学的観点にとらわれずにニーズや特性を見極め、柔軟な対応をすることが今後、医師にはますます求められていくはず。こうした視点で、自分のノウハウを後進に広めていきたいと考えています。

-病院ではなく、診療所で教育する意義について、どのようにお考えですか。
浅井東診療所の所長と私の二人の中で合致しているのは、見学・研修に来た医学生や医師を「地域の森羅万象にきちんと会わせる」ために、地域住民の中に「浸かって」もらうことが診療所で教育する大きな意義の1つだということです。

junichiro_miyachi2たとえば、医学生であれば教科書では知りえないような、患者さんの現実の姿を知ってもらう機会になります。しかし、ここで注意してほしいのは、「浸かる」=ただ見学するというわけではないということです。それだけでは「この地域はこんな特徴がある」と上辺だけを見て分かったつもりになって終わり、となりかねません。そのため、見学の後には必ず対話をする時間を設け、「浸かった」結果、彼らが感じたこと、考えたことと指導医の経験・学問の知見を統合しながら学びを導き出すようにしています。
若手医師であれば、なるべく地域住民の生活に触れ、自分が行ったケアの経過を診る機会をつくるようにしています。生活習慣病や緩和ケアなど、生活に密着した病気を扱うことが医師の役割の大きな部分を占める今、若手医師が自分のケアの成果を時間を追って、単純に医学的指標だけでなく、生活との相互作用の観点から確認し、そこから自分の診療のあり方を反省する、という一連の学びを経験できるのは非常に重要だと考えています。

このように、地域住民の協力のもと、地域の医師が教育者かつ臨床家としてフォローに入る体制で、地域の世界に「浸かり」、病院にいては追いにくい中長期的な時間の経過によるケアの流転・顛末を体感し、更にはそれを先輩医師の経験や学術的知見と統合しながら学べることが、診療所教育の大きな意義になっていくと考えています。

環境の違いを読み取り、柔軟に診られる医師になってほしい

-地域で成長していきたいという医師に、メッセージはありますか。

あえて言うとすれば、地域医療を学ぶにあたって気を付けてほしいのは、「ある地域で身に付けたノウハウが、他の地域で活かせないこともある」という事実です。

東京から離島に移ると、人口や医療資源など条件が極端に異なる分、東京で得たノウハウが通用するか否かが分かりやすいとは思いますが、長浜市と鹿児島県霧島市のように、人口や面積が同じくらいで、一見同じような事象が起こるような地域であっても、何かしらの差はあるはずです。医師経験が長くなると「どんな地方、どんな患者さん相手でもやっていける」ような気になってしまいがちですが、自分を過信せず、地域間、患者さんごとに横たわる些細な違いを読み取ろうとする努力を怠らないこと、常にゼロベースで医療を実践する柔軟さを持ち続けることが重要なのではないでしょうか。

目の前の患者さんがなぜ、どういった経緯でそこにいるのか、それを患者個人の要因からだけでなく、地域の医療構造からも考えて診ることができる指導医を、地域の診療所から育成していきたいと考えています。

地域医療にご興味のある先生へ

各地で奮闘する先生お一人おひとりのご活躍によって、日本の医療は支えられています。
この記事をお読みになって、もしも「地方での勤務に興味はあるが、なかなか踏み出せない」とお考えでしたら、一度コンサルタントにご相談いただけないでしょうか。

先生のご懸念やご事情を伺った上で、地方の実情や待遇、サポート体制など正直にお伝えし、前向きな気持ちで次のキャリアに踏み出せるように最大限のご支援をしたいと考えております

先生の決断が、地域を、医療を変えるかもしれません。新天地でのご勤務・転職をお考えでしたら、ぜひお問い合わせください。

この記事の関連キーワード

  1. キャリア事例
  2. 事例

この記事の関連記事

  • 事例

    南海トラフ巨大地震に備えて、医師にできること ――森本真之助氏(三重県 紀南病院)

    森本氏は専門医取得を目指すことに加え、「災害に強いまちづくり」の活動をさらに広げています。診療にとどまらず、地域の大きな課題に取り組む森本氏に、これまでのキャリアと活動を伺いました。

  • 事例

    運営休止した銚子市立病院で、60代医師が働きたいと思った理由―蓮尾公篤氏(銚子市立病院)

    大学病院、神奈川県の公的病院にて長年、外科医として勤務してきた蓮尾公篤先生。医師になったときから思い描いていたキャリアを実現させるべく、60歳を過ぎてから転職活動をスタートします。さまざまな選択肢の中から転職先に選んだのは、かつて運営休止に追い込まれてしまった銚子市立病院でした。蓮尾先生が銚子市立病院に入職を決めた経緯、今後の展望についてお話を伺いました。

  • 事例

    地元・山口に還元する家庭医が描く夢―玉野井徹彦氏(山口大学総合診療部)

    現在、山口大学総合診療部にて臨床・教育・診療体制の改善に取り組むのは、家庭医の玉野井徹彦(たまのい・てつひこ)氏。もともと同氏が医師を志した理由は、地元・山口県の環境保護に取り組むためというユニークなものでした。そんな玉野井氏が思う、山口県の抱える課題と将来実現したい夢とは――。

  • 事例

    町医者に憧れ、被災地で学び、家庭医として地元へ還元する―遠藤貴士氏(モミの木クリニック)

    現在、モミの木クリニック(福島県郡山市)で家庭医として勤務している遠藤貴士(えんどう・たかし)氏。初期研修時、「良い意味で“ごちゃまぜ”」な家庭医に魅力を感じ、家庭医療の道を志します。その後、被災した石巻市での活動を経て、東北地方に当時はなかったGIMカンファレンス(全国各地の有志が開く総合内科の勉強会)を立ち上げます。遠藤氏のこれまでの活動や今後の展望を取材しました。

  • 事例

    「ならば自分が」医師不足に心痛めて薬剤師から医師に ―佐藤英之氏(坂総合病院

    薬剤師から医師へ異色のキャリアチェンジを果たした佐藤英之氏。鹿児島県の調剤薬局で働いた経験などから、地方医療における医師不足や、これに伴う患者の選択肢の少なさについて危機感を抱いていました。これまでの経験を活かし、佐藤氏が歩もうとしている道とは──。

  • 事例

    救急医療改革で、より多くの患者さんを救える日本へ――安藤裕貴氏(一宮西病院)

    安藤裕貴氏は、日本の救急医療に課題を見出し、MBAを取得。2018年からは、ビジネススクールで学んだマネジメントの知識を生かし、一宮西病院(愛知県一宮市)で総合救急部救急科部長として救急改革に取り組んでいます。さらに、改革の輪を全国に広げようと、若手医師の育成にも尽力。安藤氏が思い描く理想の救急医療の姿と、理想の実現に向けた取り組みを聞きました。

  • 事例

    北海道の若手医師のために、道外へ飛び出した総合内科医のビジョン―小澤 労氏(国立病院機構栃木医療センター)

    北海道出身の総合内科医・家庭医、小澤労氏が初期研修を経て感じたのは、「北海道では、自分のなりたい医師にはなれない」ということでした。尊敬する医師の言葉に背中を押され、道外へと踏み出します。小澤氏が思う、北海道が抱える総合内科教育の課題と、若手医師を救うためのビジョンを取材しました。

  • 事例

    医師の働き方改革、若き離島医が抱える想い―砂川惇司氏(大原診療所)

    将来は故郷に貢献したいと考え、医師を志した宮古島出身の砂川惇司氏。離島研修が受けられる沖縄県立中部病院で研さんを積み、2017年より沖縄県西表島の診療所に赴任し、専攻医として日々診療にあたっています。「医師の働き方改革」の渦中にもいる砂川氏に、離島医としての想いや今後の展望についてお話を伺いました。

  • 事例

    診療への悶々とした思いが一転 国内留学で得た衝撃とは ―河南真吾氏(徳島県立海部病院)

    河南真吾氏は医学生のときに同行した訪問診療の衝撃から、徳島大学卒業後に母校の総合診療部に入局します。総合診療部で日々診療する中で、ある悶々とした思いを抱き始めます。そんな折、亀田ファミリークリニック館山への国内留学をきっかけに、30代半ばにして自らの役割を見出しました。それまでの気持ちの変化や現在の活動拠点である徳島県立海部病院での取り組みを伺いました。

  • 事例

    市中病院から大学病院に入局した理由―近藤猛氏(名古屋大学医学部附属病院)

    学生時代、ある勉強会に参加したことを機に、将来の展望が大きく変わった近藤猛氏。市中病院で研鑽を積んだ後、名古屋大学医学部附属病院の総合診療科に入局し、現在は院内外で「教育」に携わっています。教育を通してどのようなことを実現しようとしているかを伺いました。

  • 人気記事ランキング