長文インタビュー

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

2014年1月9日

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

近藤達也が強い理由。
PMDA――独立行政法人医薬品医療機器総合機構。今でこそ、英語表記のPharmaceuticals and Medical Devices Agencyの頭文字をとった略称で呼ばれ、医療界ではもちろん一般社会でも認知されつつあるが、以前は「機構」と、まるで隠語のような呼称を使われ、長々とした組織名を口にする者もなく、何をするところなのかもあまり知られていなかったという。しかし、一方でドラッグラグ、デバイスラグの解消、薬害肝炎を契機とした安全対策の強化・充実など、抱える課題はきわめて重く、十分に機能することが待たれていた組織だった。
そんな「以前」を吹き飛ばし、状況を一変させ、日本はもちろん世界においてもPMDAの存在価値を高めようと挑み、早くもドラッグラグの顕著な短縮を可能にするなど、実現のハードルを越えようとしているのが近藤達也だ。
厚生労働省の役人の天下り先の筆頭に挙げられることもある同組織を、役人の個人的な“裁量”ではなく、種々の研究の成果としての知識に裏打ちされた科学者の“サイエンス”を根拠に機能するようにした手腕には敬服するばかり。彼の底なしの強さが成せる業である。

噂にのぼりもせずまったく予測されなかった人事

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

2008年初春、空席になっていたPMDAの理事長職に近藤が内定した報を聞き、思わず声をあげた医療関係者は少なくなかったはずだ。噂にのぼりもせず、まったく予測されていない人事であった。驚いたのは周囲だけではない。当の本人もまた仰天したそうだ。国立国際医療センター(現独立行政法人国立国際医療研究センター)の院長の定年を目前に、次の勤務先も決まって4月から新天地へと思っていた2月に降って湧いたように打診がきた。

「独立行政法人医薬品医療機器総合機構(以下、PMDA)と言われても、すぐにはピンときませんでした。少し調べて、打診の受諾を即決しました」

PMDAは2001年に閣議決定された特殊法人等整理合理化計画を受け、国立医薬品食品衛生研究所医薬品医療機器審査センターと医薬品副作用被害救済・研究振興調査機構及び財団法人医療機器センターの一部の業務を統合し、2004年4月1日に設立された。主な業務は、医薬品の副作用や生物由来製品を介した感染等による健康被害に対して迅速な救済を図り(健康被害救済)、医薬品や医療機器などの品質、有効性及び安全性について、治験前から承認までを一貫した体制で指導・審査(承認審査)する一方で、市販後における安全性に関する情報の収集、分析、提供(安全対策)も行う。

たいへん重要な機関であるにもかかわらず、前述のとおり、当時、存在を知っている者は決して多いとは言えなかった。メディアからはドラッグラグ、デバイスラグの解消を迫られるに加え、薬害肝炎を契機とした安全対策の強化・充実も求められ、国民からの信頼は失墜していた。そんな組織の長になど誰がなりたいものか。一歩間違えば、積んできたキャリアに傷もつきかねない。

グチャグチャな組織だから理事長を引き受けた

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

「グチャグチャな組織だから引き受けたのです」

近藤は「少し調べて、即決した」と言った。PMDAの状況を把握してもなお、いや、把握したからこそ即決したのだ。いったいなぜ?彼は楽しい出来事を思い出すように笑って話を続ける。

「強い野球チームの監督より、最下位チームの監督のほうが、断然面白いでしょう。しかも、国内はもちろん世界にも影響を与えられる可能性を持つ組織の立て直しがミッションだと知って、血が騒ぎました(笑)。マイナスからのスタートだから気も楽です。だから、むしろ打診はグッドニュースでした。

PMDAの課題は、ドラックラグ、デバイスラグ、医薬品、医療機器等の安全対策の強化・充実とはっきりしており、目指すべきゴールを想像できた。医薬品や医療機器の開発を手がけた経験もありますから、ゴールにいたる過程を頭の中でしっかり組み立てられる。断る理由は何もありませんでした」
当時、時の厚生労働大臣の舛添要一氏は、「次のPMDAの理事長には医師を据える」と言い放ったと聞く。恐らく、官僚による支配を解消し、患者・国民の期待に応えられる組織のトップには、患者を第一に考える医師という職を選んだ者こそ、適任との思いが根底にあったのではなかったか。そして、医療界を見渡し、「真の医師」を任命した点で、彼の直感は実に鋭く働いたと言えるだろう。

理念をつくり、スタッフのベクトルを同方向へ

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

着任すると即座に、組み立てたゴールにいたるまでのストラテジー(戦略)の遂行を開始する。まずは、呼称の浸透。

「正式名称が長いので、仕方ない側面はありましたが、『機構』では何をする機関だかわからない。アメリカが『FDA(Food and Drug Administration/食品医薬品局)』なら、日本も頭字語を使った『PMDA(ピーエムディーエー)』を浸透させようと決めました」

次は組織づくりの肝となる理念の構築だ。

「着任してみると、スタッフは感心させられるほど優秀な人材ぞろいでした。では、どうしてドラッグラグやデバイスラグが起こってしまうのか。ラグは、判断の遅さの結果。つまり、スタッフがバラバラな方向を向いているから迅速な判断ができない。誰のために何をすべきか――スタッフのベクトルを同じ方向に向けてやるだけで、2つの課題は解決できると確信しました。

それには理念の構築が必要です。約450名のスタッフから意見を出してもらい、何回も何回もすり合わせをして半年がかりで、5つの理念をまとめ上げました(本頁の下記参照)」

理念づくりのプロセスで、近藤がしたのは実にシンプルなアドバイスのみ。「相対的価値観ではなく、絶対的価値観でつくってくれ」。

「良いとか悪いとか比較して理念を絞り込もうとするのは二流の手法です。我々の真理にどこまで近いか、理想の姿にどこまで近いか。絶対的価値基準に照らし合わせ、話し合いをしてほしいとお願いしました」

“裁量”ではなく、“科学”で物事の判断を

5つの理念のもと、組織の歯車を軋まずまわすために欠かせない潤滑油も差した。それが、レギュラトリーサイエンス。なんと日本生まれの概念だそうだ。

内山充氏(薬剤師認定制度認証機構理事、国立医薬品食品衛生研究所名誉所長)が1987年から提唱し「我々の身のまわりの物質や現象について、その成因と実態と影響とをより的確に知るための方法を編み出す科学であり、次いでその成果を使ってそれぞれの有効性(メリット)と安全性(デメリット)を予測・評価し、行政を通じて国民の健康に資する科学である」と定義づけられている。

「我々が扱う対象は、薬剤や医療機器。したがって、国民から信頼される機関たるには、いわゆる“裁量”ではなく、“科学”で物事を判断しなければなりません。拠りどころとなる科学を探していたところ、たまたま薬事の世界ではポピュラーなレギュラトリーサイエンスと出会い、『これだ!』と直感しました」

理事長となってわずか2ヵ月後、見事な早業でレギュラトリーサイエンスを記した旗を差し上げる。しかも場所は国内ではなくアメリカ。DIA(Drug Information Association:DIAは全世界に18,000人以上の会員を有する、医療用製品の研究開発、ライフサイクルマネジメントにかかわる専門家のための、米国に本部のあるグローバルな非営利団体)の年会において、FDAやEMA(European Medicines Agency:欧州医薬品庁)の高官の前であっぱれ、「我々は今後、レギュラトリーサイエンスを母体に日本の薬事を進めていきたい」と表明した。

PMDAの理念

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わたしたちは、以下の行動理念のもと、医薬品、医療機器等の審査及び安全対策、並びに健康被害救済の三業務を公正に遂行し、国民の健康・安全の向上に積極的に貢献します。

・国民の命と健康を守るという絶対的な使命感に基づき、医療の進歩を目指して、判断の遅滞なく、高い透明性の下で業務を遂行します。
・より有効で、より安全な医薬品・医療機器をより早く医療現場に届けることにより、患者にとっての希望の架け橋となるよう努めます。
・最新の専門知識と叡智をもった人材を育みながら、その力を結集して、有効性、安全性について科学的視点で的確な判断を行います。
・国際調和を推進し、積極的に世界に向かって期待される役割を果たします。
・過去の多くの教訓を生かし、社会に信頼される事業運営を行います。

医事も薬事も、突き詰めれば同じ真理に行き着く

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

臨床医時代に医療機器開発や創薬にたずさわっていた経験があるとはいえ、薬事の知識なしに、適確なゴールを定め、よくもPMDAをこれまでの組織に立て直したものだ。

ドラッグラグには、開発ラグと承認ラグがあるが、後者に関してはほぼ解消されたと言っていい。欧米で使用が認められている医薬品は、承認申請から承認まで平均1ヵ月(中央値)しかかからないというから驚く。

「医師を理事長に迎えたスタッフも最初は気が気ではなかったのでしょう。『薬事を知っているのですか?』と問いかけてきた若い薬学の審査官がいました」

もちろん当時は薬事に明るくはなかったが、怯みもせず次のように返答した。

「薬事は知らないが常識はある。医療人の常識とは、患者さんのためにならないことはやらない。医事も薬事も、突き詰めれば、患者さんのためになるのか、ならないかで判断することに尽きる。僕は、その常識を胸に、命を懸けて医療をしてきた。薬事にも同じ姿勢で向かい合っていけばいいと思っている」

審査官は、黙って立ち去ったそうだ。

薬事は究極の医療倫理であると気づく

今、近藤の薬事に対する認識は更に深まっている。

「医師である私は、PMDAに来て気づいた。『薬事は、究極の医療倫理だ』と。

医事は、医師と患者さんとのいわば直接契約。1対1の関係で医師は最大限の医療を行い、患者にとって不利な行為はしない義務を負います。

ところが薬事は、1対1ではない。薬は何千、何万の人が使うわけだから、1対1ではなく、不特定多数に対する医療です。

薬は、効く人もいれば、効かない人もいますし、副作用が出る人もいます。不特定多数の人に対して適切に薬を渡すための規則が薬事。薬事は究極の医療倫理です」

日本は新しいアイデアシーズを見つけ出すすぐれた国

PMDAには、現在、大学医局やナショナルセンター等におけるキャリアパスの一環として勤務する者も含め、50名近い医師が勤務する。ここまで医師の人数が増えたのも近藤が理事長を務めるようになり、PMDAでの医師が果たす役割の重要性を内外に訴えてきたからだ。

「ある報告によれば、世界でよく売られている100品目の医薬品を調べたところ、シーズの数は日本が第3位だったそうです。1位がアメリカ、2位がイギリス、3位が日本、あとにはフランスやドイツ、スイスが並んでいます。意外な結果と感じる人は、少なくないでしょう。私もそのひとりです(笑)。

日本は新しいアイデア、シーズを見つけ出すすぐれた国ですが、製品化で後れをとったり、欧米に製品化の権利を売ってしまったりしている。シーズを見つけるより、製品化するほうが利益を得られる可能性があるのに、シーズの製品化に結びつかないのは、研究者の薬事の知識が浅いからにほかなりません」

薬事を知る医師を育てシーズの製品化に期待

「新しいアイデアやシーズを製品化するのであれば、薬事は押さえておいてほしい。そこで、医師に研究段階で注意すべき薬事のポイントなど、基本的なところを理解してもらおうと各大学医学部にPMDAでの勤務を呼びかけ始めました。

新薬承認審査に用いるデータの信頼性を担保するには、GLP(Good Laboratory Practice)やGCP(Good Clinical Practice)の知識が必要です。治験薬をつくるにしても、その品質を保証するためなどにGMP(Good Manufacturing Practice)を十分に参照しなければなりません。薬事を知る医師が増えていけば、今までとは違ったフィールドからもシーズの製品化が進むのではないかと期待しています」

もともと日本製品に対する世界からの信頼は厚く、まだまだ、メイドインジャパンの製品の価値は高い。クオリティの勝負は日本の得意とするところ。世界で売れる創薬・医療機器のシーズを見つけて製品化すれば、大きな輸出産業になるだろう。
医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也
機器開発の面での近藤氏の代表的な功績を挙げるなら、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の支援による全身用定位放射線治療装置の1号機の開 発だろう。開発がスタートしたのは、サイバーナイフが登場したのと同じ1992年。腫瘍のかたちに合わせて、放射線をあてて治療する全身用定位放射線治療 装置(定位がん治療装置)を考案。なお、現在では、さらに精度の高い放射線照射をめざして動的な位置決め装置の開発が行われている。

出会い、追いかけ、発見にたどりつくために必要なのは

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

未知の部分が多く、発明、発見の可能性の高いのが魅力で、脳外科を専門に選んだ。それだけにシーズの発見については、一家言も二家言も持つ。

「診断を体系的に学び、納得した治療を実施するうちに、少し外れたことに遭遇するものです。そこで、ちょっと考えてみるべきタイミングだと気づけば、新しい発見につながるでしょう。もちろん、不勉強だと何も見えてきませんよ。

『まあ、そんなこともある、こんなこともある』と、わかったような気になって後追いの繰り返しのような治療をしていたのでは、思いがけない事象には出会えません。

基礎をしっかり学び、積み重ねたうえで想像を超えた違う要素に出会い、追いかけるから発見になる。そこで、僕は若い医師に『患者さんをよく観察しなさい』と言います。発明、発見のシーズなんて日常的に目の前に転がっているのだから、必ず何か宝物が見つかるはずです。

そういう見方が身につくと、患者さん一人ひとりに興味が出てきますよね。必然、丁寧に診察するようになる。行き着く先は、良い医療。良い医療のできない医師に、発見はできません」

世界に羽ばたく日本の医療産業の明日が見えてきた

この人の話を聞いているとワクワクしてくる。昨今、「医療」のキーワードで明るいニュースは聞こえてこない。それどころか、暗いニュースでいっぱいである。しかし、近藤と話すと、不思議と日本の医療界も捨てたもんじゃないと思えてくる。

患者の幸福そうな表情、生き生きと働く医療人、そして世界に羽ばたく日本の医療産業が見えてくるのだ。PMDAの発展もしかり、苦境であればあるほど、明るい未来をたぐり寄せられるのだと教えてくれた。なんと強い人であろうか。

「もし僕に強さがあるとしたら、迷わないからかもしれません。繰り返しになりますが、患者さんのためにならないことはやってはいけない。守るべきことは、それ以外に何もありません。シンプルだから、楽なんですよ。判断すべき事象に相対したら、シンプルな原則に照らすだけです。答えはすぐに、しかもはっきりと出ます。そして、理にかなった答えは必ず光とともにあるものです」

答えをひとつしか持たずにすむ域に達した近藤の言葉に圧せられた。今さらだが――理のもとに出した答えを実行する覚悟を持った人の強さには、誰もかなわない。

医師インタビュー企画 Vol.3 近藤達也

近藤 達也
こんどう たつや
独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)理事長

1968年 東京大学医学部卒業
1969年 東京大学医学部脳神経外科教室入局
1972年 都立荏原病院、同大塚病院、茨城県立中央病院、日本赤十字社中央病院の各脳神経外科をローテートする、国立東京第一病院脳神経外科(厚生技官)
1974年 東京大学医学部文部教官助手(脳神経外科)
1977年 西ドイツのマックス・プランク研究所・脳研究施設留学(マックス・プランク研究所奨学金による)
1977年 帰国(東京大学に復職)
1978年 国立病院医療センター脳神経外科(厚生技官)
1989年 国立病院医療センター脳神経外科医長
1993年 国立国際医療センター手術部長
2000年 国立国際医療センター第二専門外来部長、昭和大学脳神経外科客員教授(~2003年)
2003年 国立国際医療センター病院長、日本病院会常任理事
2008年 独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)理事長
2013年 内閣官房健康・医療戦略室健康・医療戦略参与、一般社団法人Medical Excellence JAPAN副理事長

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