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医療的ケア児とその家族のために 医師10年目の挑戦―押谷知明氏(NPO法人ジャパンハート/済生会兵庫県病院)

2019年7月5日

小児循環器内科の専門研修を修了後、NPO法人ジャパンハート長期ボランティアに参加した押谷知明氏。帰国後は同科のスペシャリストとしてさらなる研鑽を積むのかと思いきや、プライマリケア医へと方向転換しました。約半年間悩んで出したキャリア転換という答えの背景には、ある思いがありました。(取材日:2019年5月10日)

「子ども×海外」でジャパンハート長期ボランティアに参加

―海外医療に興味を持った理由から教えてください。

10代の頃から将来の仕事のテーマは「子供に関わる」と「海外」でした。そのため職種として小児科医か教師という選択肢で悩みました。自分の技術をもって海外に出やすいこと、医学部であれば教員免許も取得できることを知り、欲張って医学部を選びました。

大学ではラグビー部に入部し、学生時代は部活漬け。海外医療に真剣に触れる機会を全くつくることなく気づけば大学卒業が目前に。その時「忙しくなる研修医の前の今、動かなければ、海外医療に一生触れずに終わってしまうかもしれない……」と思ったのです。そこで大学6年最後の1週間、NPO法人ジャパンハートのスタディーツアーに参加しミャンマーを訪れました。医師が海外へ行く場合、最先端の医療を学ぶために先進国へ留学することが主流かもしれません。しかしわたしは学生時代に、たびたび旅行で東南アジアを訪れた経験から、彼らの人懐っこさや文化にとても好感を持っていました。そんな中、医療で東南アジアの人達や発展途上の国と関わりたいという思いが自然に込み上げていたのかもしれません。

参加前に代表・吉岡秀人の本を読んでいましたが、直接本人に会って聞きたいことがたくさんありました。自分がどんな形で国際医療に関わればいいのか悩んでいたんですね。
現地で座談会が開かれ、そこでわたしは吉岡に自分の思いと質問をぶつけました。すると吉岡は「自分の幸せに直結する場が、僕の場合には、たまたまここだっただけ。自分がしたいと思うこと、それが誰かのためになっているのであれば、誰も悲しませないのであれば迷うことはない、自分に正直にやればいい。だから自分のために来なさい」といった内容のことを話されました。いろいろと悩んでいたわたしには、この言葉がすーっと心の奥に落ちてきて、染み込んでいったのを覚えています。

国際協力は、人のために自分を犠牲にして支援するというイメージが強いかもしれませんが、相手との協調の中で実現される自己表現の1つだという吉岡の率直な姿に共感と興奮を覚え、必ずいつかまたここに戻って来ようと決意しました。

―ジャパンハートの長期ボランティアには、いつ参加されたのですか。

医師9年目です。小児循環器内科の専門研修を修了して、2018年4月から半年間、カンボジアでの長期ボランティアに参加しました。
具体的な活動内容は、子どもだけでなく成人も含めた診療や保健活動など。ちょうど「カンボジア・ジャパンハートこども医療センター」の立ち上げ準備中だったので、同センター開院に向けた業務にも携わりました。

それこそ病棟の面会時間は何時から何時にするのか、警備員はどのように配置するのか、どのくらいの塩素を入れた水を提供すればいいのか――など、病院を運営していくにあたり必要なことを、小さなことから全て決めなければならず、その量も膨大でした。また、約6割の人員が現地の医療者だったのですが、中には小児を診たことがない医療者も一定数いたので、彼らに子どもの診方や小児科の役割を教えていました。
日本にいる家族の体調不良もあり、同センターが6月にオープンして軌道に乗ったのを見届け、2018年11月に帰国しました。

小児循環器内科医から、プライマリケア医へ

―帰国後のキャリアを教えてください。

帰国から約半年間、その後のキャリアについてずっと悩んでいたんです。小児循環器内科の専門性をさらに高めて、その技術を持って再びカンボジアに行き、心臓病の子どもの治療プロジェクトの立ち上げにつなげていくか。はたまた、プライマリケア医として新たなキャリアを歩むか――。

悩んだ挙げ句、プライマリケア領域へ舵を切ることを決めました。成人内科などの研修を改めて受けてから、父が開業した医院で小児科も含めたプライマリケアや、小児在宅医療を展開していく予定です。

―ずいぶん大きな方向転換をしましたね。

昔から小児科医を志していた一方で、医師になった頃から「町医者」として地域に密着し、赤ちゃんからお年寄りまでの患者さんやその家族に寄り添い、その人たちの幸せに焦点を当てた医療スタイルに憧れを抱いていました。国際医療の現場での経験も後押しとなりましたね。限られた医療資源と患者さんの経済的制限の中、何が本質的にその患者さんと家族にとって幸せなことなのかを考える場面が多かったです。地域コミュニティの中でそういった部分にもしっかりフォーカスした医療を構築していきたいと感じています。

また、小児循環器内科で研修を重ねる中で、医療的ケアが必要な子どもたちとそのご家族に接する機会が多くあり、日本の社会では、まだまだ医療的ケア児とそのご家族を受け入れる体制が十分ではないと感じてきました。
最先端の医療を提供するのであれば、治療と同じ力量で「医療的ケア児と家族を支える医療」も提供すべきではないでしょうか。しかしながら、日本の小児医療はその2つがアンバランスなまま発展してきたと感じています。決してその過程を否定するわけではなく、これからは後者にも目を向けて取り組む医師が増え、体制を整えていければいいと思っています。そしてわたしは、その1人になりたいと考えるようになりました。

そう考えていくうちに、「プライマリケア医×小児在宅医療」というキャリアが最適なのではないかと思ったのです。小児循環器内科医としてのキャリアも捨て難かったですが、本質的に自分自身が幸せを感じられるのはどちらかを考えた時に、本当にわずかな差で「プライマリケア医×小児在宅医療」の方だと思い、キャリア転換を決意しました。

プライマリケア医として、海外医療にも関わり続けたい

―将来的には、再び国際支援に戻ることも考えているのですか。

このまま継続的に関わり続けたいと思っています。わたしは、ジャパンハートのボランティアは医師のキャリアアップにつながると感じています。なぜなら日本は、最先端の医療を提供し続ける時代から、人の幸せは何かにスポットを当て、バランスのとれた医療へと変化している過程にあるのではと考えているからです。一方、途上国の医療では、さまざまな制約の中で何が幸せなのかを集中して考えることが多く、日本とは異なるバランスの環境に身を置くことで学ぶことは多いのではないかと思います。また高額な検査結果ばかりではなく、臨床所見やコストがあまりかからないモダリティでも、しっかりとした診断や治療に結びつける能力を、実体験や現地で長期活動するスタッフから学ぶことができます。また、チームで医療することの大切さ、普段医師がどれだけ周囲のスタッフに支えられているかを身にしみて感じます。こういったものは、日本に持ち帰って医師としての大切な糧になると思います。

しかしながら、海外医療に興味を持っているものの、経済面や家庭事情がネックとなって諦めている医師がたくさんいるのも実情です。

それもあって、帰国からの半年間、海外医療に興味や想いのある小児科医とジャパンハートが提供できる素晴らしいコンテンツをつなげる試みを進めてきました。母校である大阪市立大学小児科に協力いただき、医局員が籍を残したまま、海外医療ボランティアに参加できる体制ができました。また、小児科学会でジャパンハートの活動をPRしたり、同学会国際協力部門の担当者と、小児科研修プログラムの一環として、カンボジア・ジャパンハートこども医療センターで研修できるシステム構築に向けて話を進めたりしています。

これまでジャパンハートに関わる医師は現地での活動で精一杯で、国内でこのような活動にまで踏み込むことが困難でした。現地で活動する医師に比べると微力な活動ですが、海外医療を経験した日本のプライマリケア医として、海外医療への関わり方を見出せればと思っています。

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