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【事例:製薬会社への転職】なぜ研究開部門に医師が必要なのか―グラクソ・スミスクライン開発本部長 高橋希人氏 Vol.2

2014年6月26日

製薬企業MD_高橋先生vol3

製薬会社の研究開発分野で活躍する医師(メディカルドクター=MD)には、どんな素養が求められるのでしょうか。前回に引き続き20年以上にわたって研究開発に携わってきた高橋希人先生(グラクソ・スミスクライン開発本部長)に伺いました。

医師としてのマインドセットを製薬会社でどう活かせるか

-製薬会社の研究開発部門で活躍するためには、どんなスキルが必要だと思いますか。

「きちんと英語で論文が書ける」「研究成果を元に論理的な議論を行える」など、医師・研究者としての基本的な能力さえあれば、製薬会社に入るための特別なトレーニングは必要ないと思っています。

専門の診療科目も、製薬業界全体を見渡すと、内科系、外科系問わず、様々なようです。もちろん、もともと専門としていた診療科や研究分野に応じて業務内容が割り振られることもありますが、精神科出身のMDが整形外科領域の開発に携わるような場面も見たことがあるので、一概には言えないようです。

知識やスキル以上に大切なのは、「患者さんに貢献したい」というマインドセットを持って行動ができるかどうかではないでしょうか。これは、単に「医師としてのプライド、医学知識を持って命令ができる」ということではありません。必要な行動をチームメンバーと一緒に考えて、チームとして力を発揮できなければなりません。

また、企業ではビジネスに関する知識が問われる場面もありますが、製薬会社に入社後に学ぶこともできます。最近では経営学修士(MBA)を持っているMDも珍しくはないと思います。

努力の成果が「医薬品」という形になる

-研究開発に携わってきて、やりがいを感じた出来事はありますか。

これまで、かなりの数の新薬上市に立ち会ってきましたが、あるとき、「このお薬のおかげで、運動できなかったわが子が運動できるようになりました」と、お手紙をもらったことがあります。「自分が携わった製品が、社会に貢献したのだ」と実感できた、とてもうれしい出来事でした。

製薬会社でMDが活躍する場としては、開発部門のほか、安全対策部門、メディカルアフェアーズ部門などが代表的です。この中で、開発部門は努力の成果が医薬品という具体的な形となり、社会に流通していきます。自分が携わった製品が社会の役に立っているという手ごたえが得られやすいというのは、大きな魅力だと思います。

もちろん、すべての研究開発がうまく上市にまでこぎつけるとは限りません。しかし、研究開発の過程では、世界的に有名な医師とも議論ができますし、グローバルな環境で仕事ができるので、そうしたことに興味のある方には良いと思います。

研究開発にMDが携わる意義

-研究開発部門にMDが携わる意義は何だと思いますか

製薬企業MD_高橋先生vol4製薬会社がなぜ、MDを求めているのか。それは、MDが患者さんのことをよくわかっているからです。製薬会社の使命は、単に「規制に沿って、化合物を研究開発すること」ではありません。「未だ満たされていない医療ニーズ(アンメットメディカルニーズ)を満たすこと」ですよね。

では、アンメットメディカルニーズを満たすには、まず何をしたらいいのでしょうか。これまでは生活習慣病など、患者さんが多く、医療ニーズが明らかで開発しやすい領域で、ブロックバスターを目指した開発が多く、アンメットメディカルニーズを満たすことは特に社内にMDがいなくても比較的簡単であったと思います。

しかし、さまざまなニーズに応える医薬品が多数上市され、新薬候補の化合物も見つけづらくなったとされる今、これまでの方法が必ずしも功を奏するとは限りません。国際共同治験も一般的になり、グローバルな動向を日本の臨床現場の事情に照らし合わせつつ、スピーディに研究開発を進めなければならないという、時代の要請もあります。

製薬会社で働くMDは、一般的には診療こそしませんが、アンメットメディカルニーズがどこにあるのかという現場の感覚を持っています。さらに外部の医学専門家とも高度な議論が可能で、実際の日本の患者さんの実情を踏まえて、新薬候補の化合物が持つメリット、副作用の重篤性、適正使用の方法などを検討できる。そうしたところに、存在意義があるのではないかと思います。このような社内のMDと外部の医学専門家との医学・科学的議論は、新薬の意義を高めるために最近は益々重要になっており、開発だけでなく、メディカルアフェアーズにMDの存在意義が認められるようになっています。

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