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「祖国救え」在日アフガン人医師の奮闘──私が日本で医師をする理由vol.4・後編

2019年10月30日

島田市でレシャード医院を開業するレシャード・カレッド先生は、留学生として来日後、日本で医師免許を取得。日本での医療活動のみならず、祖国アフガニスタンでも救援・医療支援を続けています。一人ひとりの患者に寄り添うというのが医師の根本であり、場所は問題ではないというレシャード先生。活動の内容や、掛ける想いを聞きました。(取材日:2019年8月26日)
※前編はこちら

一人ひとりの患者さんに時間をかけて診察を行う

──「混雑度予測」(レシャード医院のHPに掲載)では7割以上の日時が1時間待ちですね

「患者さんにしっかり寄り添う」というスタンスは医師になったころから変わっていません。ちょっと診て終わりではなく、きちんと患者さんの話を聴き、わかりやすく説明するよう心掛けているとどうしても時間がかかります。時には1人の患者さんに30分以上かけて診療しますので、待ち時間が長くなってしまう場合もあります。お待たせしてしまうのは申し訳ないのですが、それでも市外の遠方からわざわざ来てくださる方もいて、励みになっています。

ある時、患者さんに「3時間も待たせて申し訳ないですね」と言ったら、「私たちはこれで終わりだけど、先生はこれからまだ往診や仕事があるんでしょう。大変ですね」と労ってくれました。本当にありがたいことです。

一人の患者さんに対して時間をかけてじっくりと向き合うため診察時間が30分以上になることも。

信頼を得るため、がむしゃらに働いた

──大変お忙しいと思いますが、どうやってリフレッシュしているのですか。

趣味というほどのものはありませんが、診察をするときは1日中座りっぱなしになります。患者さんにはいつも「健康のために歩いてください」と言っているので、私もやらなければと、診察時間の前に近所で山歩きをしています。仕事のある日も休日も、毎朝5時起きで歩いていますよ。それくらいしかできないですね。

医師になったばかりの頃は、外国人だから勤勉に働かないんじゃないか、怠けるんじゃないかと見られている部分もあったので、とにかく必死で働きました。家庭では女の子が4人、男の子1人と計5人の子どもに恵まれましたが、小さいころはほとんど遊ぶ時間もとれなかったですね。子どもたちには寂しい思いをさせました。今はもう全員独立して自分の好きな道に進んでいますが、誰も医師にはなっていません。私の働き方を幼い頃から見ていて、「家族も顧みない、こんな仕事はできない」と思ったんでしょう(笑)。

しかし、土曜も日曜も賢明に働いたからこそ、周囲の医師や患者さんたちから信頼を得ることができ、今につながっている部分もあるのではないかと思います。子どもたちには「病気の患者さんには時間がないんだよ」と伝えていましたし、父親がゼロからのスタートでここまで来たのはずっと見てきているので、その想いは理解してくれていたのではないでしょうか。

日本にいたからこそできた、祖国への医療・教育支援

──医師として活動するうえで、日本にいたからこそできたことはありますか?

私は日本での医療活動に加え、国際的な医療活動にも携わってきました。平和で豊かな日本という国にいて、医師としていろいろなつながりを持てたからこそ、国際貢献においても実現できたことはあると思います。たとえばJICAの専門家として派遣されたイエメンでの活動なども日本にいたからこそできたことです。私費を投じて行ってきた活動も多いですが、1人ではどうにもならない部分を日本の皆さんにサポートしていただきました。

これまで多くの国際貢献を行ってきたレシャード先生。数多くの感謝状や表彰状が並ぶ

──祖国アフガニスタンでの医療支援について教えてください。

アフガニスタンは政府と反政府勢力タリバンやIS(イスラミック・ステート)との紛争が続いており、治安や衛生環境が改善しない中で、人々は困難な生活を強いられています。乳児の死亡率は出生1000あたり53人、5歳未満児死亡率が出生1000あたり70人…。生きていくこと自体が大変厳しい国です。初等教育修了率も34%と低い水準になっています。

私が主宰する「カレーズの会」はアフガニスタンの医療と教育の支援を行うことを目的に、2002年4月に発足しました。2001年、アメリカでの同時多発テロをきっかけにアメリカ軍による攻撃を受け、多くの市民が犠牲になりました。1979年の旧ソ連軍の侵攻から相次ぐ戦争で、医療施設も次々に破壊された。最初は個人的に難民キャンプに薬を持っていき、救援活動を続けていたのですが、その想いに共鳴してくださった患者さんや市民の方々と立ち上げたのが、「カレーズの会」です。アフガニスタン政府からNGOとしての登録も取得し、私の故郷であるアフガニスタン南部のカンダハール市で診療所を設立・運営。難民キャンプや離村への巡回診療も行っています。

1日100名以上が診療所に訪れて診察を受けている。

診療所には現在3名の常勤医師がおり、年間3~4万人を超える人々に対して無償の医療サービスを提供しています。また、アフガニスタンから日本へ医療スタッフを招き、研修と技術拡充を図っています。私自身も1年に1〜2回はアフガニスタンに赴いて医療活動を行っています。これまでのべ60万人の患者さんを診てきました。

海外で支援を行っていて特に問題だと感じるのが、出産時に感染症にかかって重症化したり、命を落としたりする女性が非常に多いことです。自宅や助産師などがいない状況での出産が半数を占めるためですね。劣悪な衛生環境や専門知識を持った人の手助けがないために感染してしまう。アフガニスタンの人々には「病院や診療所など専門知識を持った人がいる清潔な場所で出産をしてください」などと公衆衛生教育も行っています。

教育面では、それまでに行っていた寺子屋方式の教育が治安悪化のためにできなくなったので、2009年10月に新しい学校をカンダハール市内に設立しました。定員480名のところ、現在1600人が学んでいます。学校で学びたいという子どもたちが大変多いため、教員は3交代制で授業を行っています。

未来ある子どもたちが安心して学べる環境つくりにも多大な貢献をしている。2018年には外務大臣からの表彰を受けた。

国境を越えて、人々が共に歩めるように

──今後の目標を教えてください。

レシャード医院は地域に根差した診療所です。診療所だけではなく介護老人保健施設や特養、訪問リハビリテーション、訪問介護包括センターなどを運営して、地域のお年寄りの皆さんの生活を支えています。職員も合計すると300人くらいになります。これから考えていかないといけないのは、次の世代にこれらをどうつないでいくかということですね。持続性がないと意味がありませんから。

その手段、方法を今探っているところです。地域の皆さんの支えでレシャード医院は発展的に広がってきたので、地域を大事にしながら、地域をもとにした持続性について、どういう形が最善かを考えていくことが私の役目だと思っています。

また、アフガニスタンの支援も続けていきたいですし、日本の方にも祖国の状況を知っていただきたいです。かつて日本が敗戦から劇的な復興を成し遂げたように、祖国もきっと、豊かさや安全を取り戻せるはずと信じています。私は、診るべき患者がいるならば、そこに出向くのが医師だと思っています。場所は問題じゃないんです。私の場合は、それがたまたま自分の診療所であったり、特養だったり、患者さんのお宅だったり、イエメンだったり、難民キャンプだったり、アフガニスタンだったりするだけ。山の奥であろうと、街の中だろうと、砂漠であろうと、頼られればそこに応えたい。それが医師の根本だと思っています。人と人とのつながりや未来を共につくっていくということを、島田でもアフガニスタンでも、医療を通じて実践していきたいですね。

レシャード・カレッド

1950年 アフガニスタン・カンダハールに生まれる
1969年 国費留学生として来日 
1976年 京都大学医学部卒業
1982年 島田市民病院 呼吸器科医長
1984年 京都大学医学博士号取得
1991年 松江赤十字病院 呼吸器科部長
1993年 「レシャード医院」開設 医院長
1999年 老人保健施設「アポロン」設立 理事長
2002年 アフガニスタン復興支援NGO「カレーズの会」設立 理事長
2003年 社会福祉法人「島田福祉の杜」設立 理事長
2004年 京都大学医学部臨床教授就任
2008年 島田市医師会長
2011年 老人保健施設「アポロン伊太」設立 理事長
2012年 医師会長任期満了につき退任

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