家庭医療の後期研修プログラムを受けながらも「家庭医と呼ばれたくなかった」と語る奥知久氏。ある時を境に、自らの役割を見出し、家庭医の道を歩むことを決意します。そして2019年4月、9年勤めた病院を退職。フリーランスの医師として、コミュニティケアの活動に取り組もうと考えた理由とは――。(取材日:2019年3月28日)
「家庭医」と呼ばれたくなかった
―学生時代から家庭医療や総合診療に興味があったのですか。
学生時代は、どういう医師になりたいか明確なビジョンもありませんでした。医師3年目で諏訪中央病院の家庭医療専攻医になりましたが、生意気にも「家庭医」と呼ばれたくないと思っていて――。というのも、わたしは家庭医という言葉のニュアンスが好きではなかった。当時は家庭医というと内科医よりも劣っているような気がしていて、存在価値もあまり感じられなかったんです。だから気持ちは内科医でありたいと、「内科の奥です」と自己紹介していました。しかし、医師5年目の時に、この意識がガラッと変わる出来事があったのです。
―どんな出来事ですか。
家庭医療後期研修のゲスト講師をしてくださっていた、オレゴン健康科学大学家庭医療科の山下大輔先生のもとに1カ月間、研修に行ったときのことです。
山下先生はどのシーンにおいても、組織にすっと入り込み、その一員として物事を動かしたりしていました。組織運営や研究、外来など、すでに動いている仕組みの中で潤滑油となっていて、山下先生がいないと全体が成立しなくなっている――。そんな姿を目の当たりにし、多様なニーズや要素を汲み解きながら適切な振る舞いを決める、それが家庭医なのだと教わりました。そこで初めて、家庭医のやりがいを見出し、家庭医として歩む決意が固まったのです。
―「ニーズに応えて振る舞いを決める」とのことですが、先生は具体的にどんなニーズに応えようと思ったのですか。
今後のキャリアを考えたときに、諏訪中央病院という組織のニーズに応えられることがあるとすれば、家庭医療の教育だと考えました。諏訪中央病院の家庭医療プログラムは、わたしの2学年上の先輩方が立ち上げたプログラムでした。当時、5年以上かけながら内科研修が一気に盛り上がってきた時期でした。「院内で完結するただの内科ではなく、地域住民の近くで温かい医療を提供するのが、諏訪中央病院の内科ではなかったのか」との思いから、家庭医療プログラムが開設されたのです。
実際に、わたしが専攻医として研修を受けてきても、諏訪中央病院の文化や空気感の中に「地域住民に近い温かい医療」はありそうでしたが、具体的にそれが何なのかはよく分かりませんでした。だからこそ、家庭医療プログラムを指導医として整備することで、「先人たちが築いてきたことを再発見し、学問として伝えたい」と思ったのです。
この他には、救急医療から入院急性期、慢性期医療、そして外来、在宅、ターミナルケアまで一気通貫して携わっていくことです。これは病院にいながら携わっていくことが大事です。というのも、院内の在宅地域ケアセンターで在宅診療をしていると、若手医師や専門の先生方も時々同行して、患者さんのお宅に行きやすくなります。すると、患者さんやご家族は喜ぶんですよね。諏訪中央病院では100人いる常勤医のうち25人が何らかの形で在宅医療を行っています。このようなことを通して、急性期や慢性期など、医療側の都合によって分断されてしまった患者さんの病気のステージを、つなぎ直すことをしてきたと思っています。
地域住民が「よし」と思えるように
―2019年4月からは諏訪中央病院を離れると伺いましたが、なぜでしょうか。
病院の役割も非常に重要ですが、業務を通じて、病院に来る患者さんよりさらに手前にいる未病の方や元気な方など、より地域住民に近いところで支援をしたいと考えるようになっていって――。ラベリングするならば、「コミュニティケア」になりますが、その活動に自分の時間を割いていきたいと思うようになり、諏訪中央病院を辞めることを決意しました。
すでに2018年から、諏訪中央病院が位置する茅野市玉川地区の13自治会、約800人とともにパイロット版の「ほろ酔い座談会」という座談会を始めています。
具体的には、まずは保健師や社会福祉協議会のコミュニティ・ソーシャルワーカーと地区代表、そして病院スタッフで準備のための座談会を開きます。そこで、その地区の歴史や人口構成、祭り、今問題になっていることなどをヒアリングし、座談会のテーマを決定。本番ではゲスト講師を招き、準備で決めたテーマを元に住民同士が話し合い、その地区を自分たちがより暮らしやすくするための行動に結びつけようという取り組みです。
今年度からは、茅野市以外に依頼のあった隣の原村、北海道本別町、福島県南会津町などでもこのような活動をしつつ、地域ごとのコミュニティのリサーチもしていきたいと考えています。
―コミュニティケアを通して、どのような展望を思い描いているのですか。
地域住民が今の状態を幸せに感じ、「よし」と思えるように、日々の営みから何かを見出し、自分たちのことを自分たちで考えて過ごせるようにしたいと思います。
この活動の原点は、医学生時代にお世話になった、アメリカのホームステイ先の老夫婦に言われた言葉です。彼らに「なぜ日本人はあんなに恵まれているのに、幸せそうではないのか?」と疑問を投げかけられ、わたしは答えられなかったのです。同時に、寿命が10%延びても年収が10%アップしても、我々は幸せにならないだろうと思い、そう思ってしまうことにハッとさせられました。そこから自分や周りの人たち、そして日本人が「良し」と思って過ごせるために必要なことは何か、という疑問がずっと根底にありました。そして数年後、茶の湯を通して2つの重要なことに気付いたのです。
山の中の茶室で、師匠が「手にすくった水に中秋の名月を映して観る」という意味の掛け軸を読んでくださいました。それは、「忙しくても心の余裕を持つこと、ちょっとした行為によって美が顕れること」を教えてくださいました。我々の目の前にはすでに「よし」と思えることがあります。それを見出すちょっとした工夫が我々日本人には必要なんだと知りました。
もう1つは「侘び寂び」という不足を意味する言葉。さんさんと降り注ぐ太陽よりも、暗闇の中でのろうそくの光の方が、より鮮明に光の本質にフォーカスできます。つまり量的なものが減ったり失われたりした時こそ、本質を見出すチャンスということです。
これを現代社会に置き換えて考えてみると、わたしたちは、人口減少や超高齢社会の局面で失われるものが多くなっていく時代を迎えます。生老病死という個々人の営みも不足に覆われています。だからこそ、自分たちが生きている世界に希望を見出し、「よし」と思える可能性に満ちているのです。そのためにも、これから本格的に取り組んでいくコミュニティケアを通して、住民たちとともに、失うことと見出すことの二重性に取り組んでいきたいと思います。
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