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コラム

医局所属18年の准教授が、「退局」を決めるまで―わたしの医局論(1)

2018年6月19日

小鷹昌明(おだか・まさあき)
卒後18年間所属していた大学医局を辞し、公的病院での勤務を始めて6年が経過しました。大学病院時代を振り返ると、忙しくも自分を成長させてくれた時間だったと感じています。そんなわたしが、なぜ突然医局を辞めたのか―。今回は、医局入局から退局にいたるまでの軌跡を綴っていきたいと思います。

医師として、最もレールを踏み外さない生き方をしてきた

卒後は、母校の神経内科へ入局。臨床研修を終えた後は同教室の大学院へ進学し、自己免疫性末梢神経疾患の発症機序に関する研究を行いました。途中、英国留学を経験したものの、一貫して母校の大学病院に勤務し、研さんを積みました。率直に言えば、医師として最もレールを踏み外さない生き方をしてきたと思います。上司や同僚にも恵まれた境遇で、大学から与えられた臨床・研究・教育という命題を、自分なりにこなしてきたつもりです。特に研究の分野では、恩師と新たな知見をいくつか見出し、その領域を牽引してきました。大学からも評価をいただき、准教授を拝命したのは、卒後18年目の春でした。

そんな“大学病院医局・どストライク医師”だったわたしが、なぜ突然医局を辞めたのか。

一言で表すならば、「これ以上大学病院にいても、残念ながら成長はない」と判断したからです。どんな職場でも言えることだと思いますが、同じ組織に長く居るためには、常に新たなビジョンを示していかなければなりません。わたしの場合、18年の歳月を経て、それに行き詰まったということです。“准教授”という肩書きをいただきながら辞めるというのも、何だか申し訳ない気もしましたが、仮に「ここに居続けて何を目指すのか」と問われたときに、明確な答えを示せない――そんな感覚に襲われたことが辞職のきっかけでした。大学人として必要とされる人材のままでいられれば、それはそれでよかったと思います。しかし、そうはならなかったのです。
確かにわたしは、辞職を決める2年ほど前から、何となく釈然としない毎日を過ごしていました。悩める患者や改善されない医療制度を見るにつけ、「これまでの研究は一体何の役に立ってきたのか」ということを自問自答し始めていましたし、「医者として、もっと他にすべきことがあるのではないか」という思いは日増しに強くなるばかりで――。大学組織にそれなりに長く在籍し、40歳を超えてからは現場から遠ざかり、中間管理職としての仕事に「このままでいいのだろうか」という気持ちが芽生えてきました。研究を発展させるにしても、臨床の実力を上げるにしても、それはそれで意味のある生き方だったでしょう。しかし、人生の折り返し地点を過ぎたあたりから、「残りの半生でやるべきことは何なのか」ということを考えるようになりました。…と書くと、高尚なことを考えているようにも思えますが、そうではなく、要は自分への活力が湧かなくなったのです。臨床も研究も、中途半端な状態。わたしは立ち止まっていました。そして、迷っていました。外に目が向けば向くほど、自分の能力とやりたいこととの解離を感じずにはいられなくなっていったのです。

「大学病院を辞める」と決意してから、約半年で退局

そんな矢先に、東日本大震災が発生しました。大量の放射線により住人は避難を余儀なくされ、その結果、多くの人々の人生が狂わされました。家族や仕事、住まいを失った人から比べれば、わたしの葛藤などゴマ粒にも満たなかったと思います。震災から5カ月経った2011年8月、はじめて福島県の浜通りを訪れ、沿岸部を眺め、病院を視察しました。説明するまでもないと思いますが、街は壊滅的で、深刻な医師不足に陥っていました。わたしは、震災を契機に医師としての生き方を考え、人間としての生き残りを模索するようになったのです。
やがて出したひとつの結論は、「より必要とされる現場に赴く」ということ。さらに言うなら、「医師としての自分を取り戻せる現場に行くこと」でした。義侠心や正義感というほどの覚悟はありません。かといって、虚栄心や自己満足という軽さでもありません。わたしは心の叫びとして、確かにそれを聞いただけで、福島に来たのは結果論です。

大学を辞すと決めてからの行動は早かったです。2011年8月の視察の後、10月には意志を固め、矢継ぎ早に仕事をまとめていきました。主任教授との交渉を無難に済ませ(次稿で詳しく解説します)、大量に所持していた書籍や衣類、趣味品、生活雑貨を次々にリサイクルショップに出し、身辺整理を進めていきました。周りへの影響を最大限配慮し、年度末まで勤務を続け、2012年3月をもって、わたしのアカデミックキャリアは終了しました。

赴任してからも、わたしは福島に来た理由についてしばらく考えていました。1993年以来、駆け抜けてきた大学人生を一旦リセットしたくなったからではないのか。ただがむしゃらに仕事をしてきて、気がつくとひどくつまらない人間になっていた自分を変えたくなったからではないのか。自分の無能さを棚に上げて、研究意欲の枯渇や医療制度への不満をただ解消できなくなったからではないのか。無意味な権力闘争や、不条理な人物査定など、自分が巻き込まれていた喧噪から抜け出したくなったからではないのか。とどのつまり、現状からの“逃避”ではないのか。その結果たどり着いたのが、たまたまこの被災地だっただけではないのか・・・、と。

小鷹 昌明
おだか まさあき

1967年埼玉県に生まれ、1993年獨協医科大学を卒業。同大学病院神経内科に勤務後18年目に東日本大震災発生。大学を辞すと決め、震災1年後の2012年4月に南相馬市立総合病院に赴任。「被災地医師は何を考え、どうするべきか!」との想いに突き動かされて、神経難病患者の診療の傍ら社会活動を展開している。福島県浜通りの伝統行事『相馬野馬追』に5年間出陣。著書に、『医者になってどうする!』、『原発に一番近い病院』(中外医学社)、『ドクター小鷹、どうして南相馬市に行ったんですか?』(香山リカとの共著)(七ツ森書館)、『被災地で生き方を変えた医者の話』(あさ出版パートナーズ)などがある。

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