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コラム

「K君死んじゃうの?!」旧友が教えてくれたこと ―わたしの女医ライフ

2020年7月17日

ドクターと医学生の交流を目的とし、将来の選択肢を増やすためのイベント「Doctors’ Style」の代表を務める正木稔子先生が、「女性医師だからできない」ことではなく、「女性医師だからできる」ことについて語ります。

医学生になって突き付けられた事実

小学校に入学して、Kくんと仲良しになった。彼は体が弱く、担任のN先生はKくんが不自由のないように様々な配慮をしていて、わたしは幼いながらもそれがよくわかった。Kくんは歩くのが遅いため、移動教室の時は体の大きい男子が彼を背負って、わたしと友人が教科書などを持って、走って移動していた。座位から立ち上がる時、特徴的な姿勢だったことも記憶に残っている。学校が終わると、数人の友達とKくんを囲み、彼を家に送り届けてから帰宅していた。運動会の徒競走では、Kくんはハンデをもらって少し前の方でスタート。わたしたちと一緒に運動会を楽しんだ。しかし、彼はできないことが年々増えていった。4年生になる時、養護学校への転校が決まった。Kくんの笑顔がいつも輝いていたことは今も脳裏に焼き付いている。転校した後も家まで遊びに行っていたが、Kくん一家は養護学校の近くに引っ越すことになり、以降は年賀状のやり取りだけになった。

大学に入っても、一人暮らしの自宅には毎年Kくんからの年賀状が届いた。Kくんの体はどんどん動かなくなっていたようで、かろうじて動かせる指先でパソコンをとても器用に使って、名刺を作って売っているという近況が綴られていた。わたしは人生で初めて名刺を発注した。Kくんとのやり取りはさほど多くなかったが、そのひとつひとつをとても大切に感じていた。

大学4年生になり、小児科の授業を受けている最中、あるイラストを見てわたしは凍り付いた。かつてよく目にしていた、Kくんが座位から立ち上がる時の特徴的な姿勢…。それは筋ジストロフィー患者のものだったのだ。しかも、寿命およそ20歳──。当時、わたしは22歳になっていた。「Kくん死んじゃうの?!」そんな思いが頭の中を巡った。授業が終わるとすぐ家に帰り、年賀状を確認。その年の分は、確かに来ていた。すぐ実家に連絡して、Kくんの家の電話番号を調べてもらい、電話をかけた。Kくんは元気だった。実家に帰る時に遊びに行くことにした。

筋ジストロフィーと闘うKくんとの再会

久しぶりに会ったKくんは電動車いすに座り、鼻から人工呼吸器を付けていた。隣には、同じ筋ジストロフィーの弟・Hくんがいた。小学校時代からの変化にわたしは驚きを隠せず、長居すると体に負担が掛かるのではないかと勝手に想像し、短い時間でKくんの家を後にした。後日Kくんは「びっくりしたでしょ。気を遣わせてしまったみたいで申し訳なかった」とメールをくれた。Kくんに気を遣わせてしまったのはわたしの方だったのに…。Kくんは大人だな、と思ったのをよく覚えている。それから、実家に帰るたびにKくんの家に行き、いろんな話に花を咲かせた。お母さんはいつも明るく元気で、「二つ結びの稔子ちゃんがいつも横にちょこんといたよね」と笑いながら話してくれた。KくんとHくんは、体調を崩さない限り入院しなかった。ご両親は、二人と過ごすために自宅の改装まで行い、すべてのケアを家族で行っていたのだ。

国家試験の合格者が新聞に載ったとき、お母さんとKくんがわたしの名前を必死に探して「見つけて大騒ぎした!」と話してくれて、本当に嬉しかった。

医師になってからも、Kくんは時々メールをくれた。「筋ジストロフィーの薬ができることを切に願う!」(今年3月に治療薬が承認されて嬉しい限りだ)「お母さんの負担をできるだけ減らすために、短期のステイができるところに行こうと思っている」「死んだらどうなるんだろう?」――。どのメールにも、心優しく芯の強いKくんらしい文面が並んでいた。気管切開の是非について聞かれた時は、「耳鼻科医になって良かった」と思った。Kくんが決断する助けができた、という一点だけでも役に立てて嬉しかったのだ。 ある日、弟のHくんが天国に旅立ったと連絡があった。同じ病気と闘い、いつも隣にいたKくんの落胆は大きなものだった。Hくんはきっと、Kくんの心の支えだったに違いない。

病気をいかに捉えるか

ある正月、わたしは友人と温泉旅行に出掛けていた。その夜、Kくんのお母さんから電話がかかってきた。嫌な予感…と思いながら電話に出ると、お母さんが泣きながら「Kが亡くなったよ」と告げた。わたしの頭は真っ白になった。同時に、聖書のこの言葉が浮かんだ。

「患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません」。――まさにKくんを表す言葉。Kくんには、自由に体を動かせない苦しみがあった。しかし、その苦難があったからこそ生み出された品性を持ち合わせていたと思う。そして、その品性は希望を生み出し、失望に終わることはないのだ。病気になったとき悲観するのは自然な反応だ。ただ、それ以外の捉え方もきっとある。その捉え方が最も大事なのではないだろうか。

Kくんが旅立ったのは、もう12年前。昨日のことのように思い出されるKくんとの思い出たちは、Kくんが生きた証としてわたしの中にしっかりと刻まれている。このことが、Kくんと同じ筋ジストロフィーという苦難を抱えた方とその家族の、次なる希望と一助に繋がることを願い、わたしの思い出を書き残そうと思ったのだ。

正木 稔子
まさき としこ
1979年生まれ。福岡県北九州市出身。
福岡大学医学部を卒業後、日本大学病院耳鼻咽喉科・頭頸部外科に入局。主に癌治療を行う。その後クリニックに勤務し、西洋医学に漢方薬を取り入れたスタイルで診療をしている。
現在は診療業務と並行してDoctors’ Styleの代表を務め、医学生とドクターを対象に、全国で交流会を開催したり、病を抱えた方々の声を届けている。また、ドクターや医学生に向けた漢方の講演なども行っている。
それ以外にも、国内外で活躍する音楽一座HEAVENESEの専属医を務めているほか、「食と心と健康」と題して一般の方向けにセミナーを開催し、医療だけに頼るのではなく普段の生活の中からできることを提案している。

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