ドクターと医学生の交流を目的とし、将来の選択肢を増やすためのイベント「Doctors’ Style」の代表を務める正木稔子先生が、「女性医師だからできない」ことではなく、「女性医師だからできる」ことについて語ります。
新型コロナウイルスが明らかにしたもの
新型コロナウイルスの騒動で、随分と世の中の流れが変わってしまった。わたしの元には、「最前線で働いている呼吸器内科やICU対応をしている先生方ほどには、自分は役に立っている気がしなくて申し訳ない」という声が医師たちから届いている。果たしてそうだろうか。どこにでも危険はひそんでいるのだから、どこで働いていても医師は最前線に立っているに違いない。
わたしの専門は耳鼻咽喉科でクリニック勤務だが、鼻や喉を診るのが仕事であるため、防護が必須となっている。わたしは普段の診療では、患者さんから風邪もインフルエンザも滅多にもらわないが、新型コロナウイルスの実態がまだつかみ切れていない現状では、完全防護するしかない。「熱がある」という、いつもならなんでもない主訴に対して、過敏に対応しなければならない。仰々しい防護姿を見せることを、患者さんに対して申し訳なく思う。
今回の騒動で、医師の専門性の重要性が如実になったとわたしは思う。耳鼻咽喉科クリニックの患者数は激減しているものの、知識と経験があるため需要はあり、来院する患者はいる。この騒動の中、どの科においても専門性が際立っていると感じている。一方、わたしが担当する漢方外来は一時閉鎖となった。初期・後期研修医の先生方で、「基本領域専門医の意義」について軽んじる意見を耳にすることが多々あるのだが、今回のことでよく考え、思慮深くあってほしいと願っている。
そして、医療が社会保障の一部であることも顕著になった。「医療は国民を守るためのもの」という意識を忘れてはいけない。感染症だけを語っても国は守れない。政治的な側面も切り離せない。しかし、政治的な土俵で医療を見ることと、目の前の患者さんを診て寄り添うことには大きな差を感じ、毎日その間で揺れ動いている。
「扶氏医戒之略」から改めて学ぶこと
様々なことが激動し、渦の中にいる感覚だ。いずれにしても、今わたし達が目を留めるべきことは何だろうか。そう思った時、ふと歴史上の医師たちが感染症と闘った姿を医史学の論文で読んで感動したことを思い出した。江戸時代には天然痘やコレラが、大正時代にはスペイン風邪が大流行した。今とは桁外れに死者数が多く、大きな騒動だったに違いない。そんな時代をくぐり抜けた医師の一人、緒方洪庵が遺した「扶氏医戒之略」(ふしいかいのりゃく)の一部を今日はご紹介したいと思う。ドイツ人医師フーフェラントが12か条にまとめた医の倫理を、緒方洪庵が和訳して日本人医師の教育に使っていたとされているものだ。つまり、医師を戒めるための言葉集だ。
- 医師は己の利益のためでなく、患者を救うために全力を尽くすべきだ。
- 患者の社会的地位や身分、貧富の差を問わず治療する。
- 医療の目的は患者を治すことであり、患者を道具にしてはならない。診療に当たっては偏った考えに囚われず、無闇にあれこれ試さず、謙虚になって、細心の注意を払うべきである。
- 医学・医術の研鑽を積むだけでなく、日ごろから言動に注意を払って患者の信頼を得なければならない。流行の衣服をまとい、でたらめな奇説を唱えて、評判を得ようとするのは、恥知らずな行為だ。
- 昼間に診察した患者について夜間にカルテを作成し、医学書などで検討を加え、症例研究することを日課にすべきだ。
- 医師はたとえ学術に優れ、言動も厳格であったとしても、人々に信頼されなければ、力を発揮することはできない。患者の秘密を他言してはならない。また、賭博や飲酒、性交、金に汚いのは言語道断。
- ほかの医師を批判するな。その根底には医師は患者を救うという共通の目標に向かって各自研鑽し、お互いに尊重すべきだとの理念がある。
- 医師が相談して診断を下すときには、三人以下の少数精鋭で行い、患者の安全を第一に考えて、自説に固執して争論になってはいけない。
- 患者が医師を変える際には、医師どうしの仁義がある。前の医師の顔を立て、診療の経過をたずねたうえで引き受けるべきだ。しかし、明らかな治療ミスや救急の場合は例外だ。仁義は捨てて、すぐに対応すべきである。
今まさに必要な言葉ではないだろうか。様々な情報が飛び交い、医師たちも右往左往している。その中で何をなすべきなのか、なすべきでないのかを見極めることは極めて大切だと言える。
そして付け加えたいのは、時々この混沌から目を離し、心を休めてほしいということ。真実で尊ぶべきこと、正しくて純真なこと、愛すべきこと、誉れあること、徳といわれるもの──。称賛に値するものに目を留め、ホッとしたら、公のためにまた立ち上がりたいと思う。
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