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親の介護で地方移住。都市部から離れても専門性は生かせる?―転職ドクターの本音vol.3

2021年6月1日

関東地方の民間医療機関に約20年間勤めている、小児科医のA先生。自身の専門とする医療ができる現在の職場にはとても満足していますが、妻の親の介護のために家族で関西に移住する道を模索し始めました。50代中盤、かつ、暮らしたことのないエリアでの転職活動。「いい条件の職場がなければ、自分は関東に残って単身赴任になる可能性もある」と覚悟していましたが、関西で専門も生かせる職場に巡り合うことができました。都市部から地方への転職活動をスムーズに進めることができたポイントを伺いました。
(取材日:2021年4月16日)

好条件の転職先見つからなければ単身赴任も……

――今回、転職活動をすることになった経緯を教えてください。

現在は勤務先がある関東に住んでいますが、妻の実家が関西にあり、「いずれは夫婦で移住したい」と考えていたんです。しかし、今の職場がとても居心地がよく、満足していたため、なかなか思い切れず……。そんなときに親の介護の話が本格化してきたため、妻と話し合い「後悔が残らないように、近くに行こう」と決めました。しかし、暮らしたことがない、しかも地方での転職になるため、いい条件の職場が見つかるかは心配で、「難しければ、単身赴任で関東に残ることになるかもしれない」と覚悟していました。

――転職先や居住地は府や県を限定して探されていたのでしょうか。

妻の実家まで車などで1~2時間で通える範囲であれば、府や県にこだわりはありませんでした。ただ、夫婦で今後の人生を過ごす場所になるため、住環境は重要。妻と「自然が多い場所がいいね」と話して、エリアを関西だけでなく四国へも広げて幅広く検討しました。

――転職活動はどのように進めたのですか。

まずは転職支援サービスに登録しました。本格的に利用するのは初めてだったので、不安もありましたが、コンサルタントから多くの求人を提案してもらい、自分一人で転職活動をするよりも選択肢を広げられたと思います。
同時に伝手を頼った情報収集もしていて、関西にいる知り合いの医師から、空きが出そうな病院の情報も得ていました。その病院の状況についても転職支援サービスのコンサルタントに確認してもらいましたが、結局空きは出ませんでしたね。ただ、私はその土地で働いているわけでも、医局に所属しているわけでもありません。病院に直接電話することへのハードルを高く感じていたので、コンサルタント経由で確認できたのはありがたかったです。

2日間の休みで、関西、四国の4病院を訪問し面接

――転職支援サービスを上手に利用されたのですね。転職先を探す際に条件にされていた点はなんですか。

現在の勤務先では月数回当直をしていますが、今後は年齢のことを考え、救急対応や当直がなく、かつ待遇も維持できるところで働きたいと思っていました。
また、私は小児科の中でも特殊な分野を専門としていますので、できれば少しでも専門を生かせる働き方がしたいという希望もありました。この点については、都市部よりも患者が集まりにくい地方では難しいだろうと理解しつつ、「叶えばうれしい」と思っていました。

――関西、四国の4病院に面接に行かれたそうですね。コンサルタントからは多くの求人の提案があったかと思いますが、応募先はどのように選びましたか。

まずは、自分に「ぜひ来てほしい」と声をかけていただいたり、住環境がよさそうだったりしたところですね。それから、産科クリニックのお手伝い兼併設の新規開業小児科クリニック院長職の面接にも行きました。コンサルタントから提案されるまで思ってもみなかった選択肢なのですが、「自分のキャリアで、その可能性もありうるのか」と興味を持ち、話を聞いてみたいと思ったのが理由です。
休みを利用して2日間で4施設回りましたが、やはり実際に面接に行くとトップの考え方や雰囲気もわかりますし、良くも悪くも求人票には記載がなかった話も出てきて。住環境も重視していたので、足を運んでよかったと思いました。

――面接の際は、どのような点を確認しましたか。

何よりもその病院が「小児科医を本当に求めているのかどうか」です。小児人口がどんどん減少している中で、小児科は経営的に黒字にしやすい診療科ではなく、“お荷物”状態になっている病院も少なくない。そんな中でも、「この地域には、うちの病院には小児科医が必要だ」と切実に求めてくれるところがあるなら、そこに行きたいと思っていました。あとはやはり、トップや一緒に働く方々に実際にお会いして、人柄や考え方も確認したいと思っていました。

転職で家族の理解を得るためのコツは?

――面接を受けられた4施設の中から入職先を決められたそうですね。決め手は何だったのでしょうか。

まずは、院長と小児科部長の人柄です。面接でお会いした瞬間に「ああ、この方々と仕事をするのは楽しいだろうな」と感じました。また、「地方では無理だろう」とあきらめかけていた、自分の専門分野の外来業務ができることも決め手です。その病院には月2回専門外来の診療に来られていた先生がいらっしゃったのですが、ちょうど退かれるタイミングだったようで、まさに渡りに船。「その外来を引き継いで、キャリアを存分にいかしてほしい」と歓迎され、うれしかったですね。
あとは、患者さんへ向けのイベントを大事にしているところでしょうか。私はこれまで、診療だけでなく、クリスマスや合唱などのイベントを大事にしてきたので、新しい職場もそれが叶うといいなと思っていたんです。そしたら面接で、院長が率先して合唱をしている話が出て、大変盛り上がって……。4施設のうち、最後に受けた面接でしたが、「ここに来るための面接の旅だった」と感じたほどでした。

――「ここに入職したい」と決めたときの、ご家族の反応はいかがでしたか。

妻にとっても今後の人生の居住地に関わることなので、私の転職先がどこになるかはずっと気になっていたようです。転職活動の間、妻には、応募する病院や選考の経過、自分の考えなどをこまめに話していたので、入職先を決めたときも、自分の気持ちを汲み、応援してくれました。
当面は病院の近くに住む予定ですが、「海の見えるところに住みたい」という妻の希望もあるので、先々は通勤圏内の海のそばに家を構えるのもいいなと思っています。

――転職活動を振り返ってみて、いかがでしょうか。

転職支援サービスで担当になったコンサルタントが、こちらの疑問や相談に対して、すぐに求人元に確認したり、その土地ならではの事情を調べたりしてくれて、とても頼もしかったです。
「こんな求人はないですか」と尋ねると、すぐにその条件に合う複数の求人を提案してくれましたし、その求人票を見て、「この病院がこれほど高い年収を提示してくれるのはなぜなんだろう」という疑問に対しても、その背景をきちんと調べて説明してくれました。地域ごとのコアな医局事情など、私個人では知ることが難しいような情報もさまざまなネットワークを使って調べ、提供してくれたおかげで、安心して転職活動を進めることができました。
転職活動で重要になるのは、やはり情報です。そして、多くの選択肢を持ったうえで、比較検討しながら決められたおかげで、納得のいく結果につながったと思っています。

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