「国外で医師としてのキャリアを積みたい」と考えたとき、関門のひとつになり得る“語学力”。現地でスムーズな診療を行うためには、患者はもちろん、同僚となる仲間とも言語や文化の壁を乗り越えなければなりません。
今回取材したのは国境なき医師団の活動に2度参加し、アフガニスタンやイエメンで麻酔科医として貢献してきた佐藤聖子氏。語学力が気がかりで、今なお不安が拭いきれていない一方、活動ごとに心を通わす仲間を増やしてきたと実感を語ります。そんな佐藤氏に、現地でのコミュニケーションのあり方や不安を抱えながらも国境なき医師団に参加し続ける理由について聞きました。
キャリアの転換期に感じた、“割り切れない思い”
―まず、国境なき医師団への参加を決めた経緯を教えてください。麻酔科医として10年ほど経験を積んだころ、ネットサーフィンをしていて、国境なき医師団が麻酔科医を募集していると知り、「これだ」と思ったのがきっかけです。
麻酔科医10年目となると一通りのことはこなせるようになるので、周囲にはフリーランスになる医師が出てきたり、子育てをしながら頑張る同僚が出始めたりして――。そのころ、わたし自身はこれからどう人生を歩んでいくべきか、漠然と悩んでいました。
―当時、国境なき医師団の活動にどうしてそんなにも魅力を感じたのでしょうか。
活動を通じて、自分のことを本当に必要としてくれる環境に身を置けば、日本の臨床で感じていた“割り切れない思い”を解決できるのではないかと思ったんです。
―そこで感じていた“割り切れない思い”とは。
高齢化の影響もあるかもしれませんが、麻酔科医として出会う患者さんの中には、手を尽くして手術が成功しても、寿命に抗えず、術後間もなく亡くなってしまう患者さんもいます。もともとわたしは、周りに流されるような形で医学部に進み、麻酔科を選んだところがあって、こうした患者さんを前にしたとき、「自分にできることは何だろう」と迷ってしまって――。
そんなとき、医学部の受験勉強中に、海外で医療貢献をしている医師の本を読んで、「自分もこんな風になりたい」とモチベーションを高めていたことを思い出したんです。語学力に自信がなく、旅行以外で海外に行ったこともないのに、いてもたってもいられず、京都から東京まで国境なき医師団が主催する説明会に足を運びました。
―国境なき医師団への参加に、不安はなかったのですか。
安全面の不安はほとんどなかったですね。国境なき医師団は国際協力NGOとしては大手ですし、宿舎から病院までの送迎や一人で出歩かないなどのルールがあることを知り、安全対策にも力を入れていると感じましたから。
あえて不安を語るとしたら、やはり大きかったのは語学力の問題です。「1年くらい留学して語学力を磨こうか」とも考えていたのですが、「まずは腕試しに受けてみたら」と国境なき医師団経験者の先生にも勧められ、派遣面接を受けることにしました。
―参加を決めてから派遣までは、スムーズに進んだのでしょうか。
いえ、力試しで受けてみた最初の面接は、語学力不足で不合格だったんです。面接は雑談のような雰囲気で英語の質問に英語で答えるというシンプルなものですが、受験英語とは全く違います。紛争地域や災害地域という切羽詰まった状況下でも、伝えるべきことを伝えられる応用能力を測っているのかもしれません。不合格通知をいただいてから1年間は、オンライン英会話や短期留学でとにかく話すことを意識した結果、2回目で何とか合格することができました。
現地になじむことはできた一方、見えた課題
―1回目の活動は、アフガニスタンの首都カブールにある産科・小児科病院に派遣されましたが、チーム編成と活動内容を教えてください。
産科のスタッフ数はトータルで現地産科医が5~6人、助産師が50~60人、手術室看護師が10人、麻酔技術者5人ほどで、1件の手術に関わるチームとしては現地産科医1~2人、手術室看護師2人、麻酔技術者1人と私でした。わたしは5人のテクニシャンに手術管理と麻酔手技のアドバイスを行い、現地の医療水準を高めることが求められました。
―参加されてみていかがでしたか。
お産は1日に40~60件ほどある病院でしたが、手術件数は少なく、1日に0件のときも。すべて緊急手術なので宿舎に帰ってから呼び出されることもありましたが、当初は、「手術麻酔を朝から晩までやるぞ」と気合いを入れていたので、ちょっと肩透かしをくらいました。
―日本との違いは、どんなところにありましたか。
症例自体はもちろん初めて診るものもありましたし、日本ではありえないような重篤な症例もたくさんありました。ただ麻酔の手技自体は扱う機械や薬が違うくらいでしたし、患者のバイタルサイン安定化という麻酔科の業務はどんな手術にも共通していました。そのため、仕事内容に心配はなかったのですが、チーム医療という点では情報共有の難しさを感じました。例えば緊急手術が入ったとき、わたしには「手術がある」としか連絡がなかった。日本では「なぜ手術が必要なのか」「母子の状態はどうか」といった確認が当たり前に行われますが、現地にはそうした習慣がなかったのです。なかには急遽、下半身麻酔から全身麻酔に切り替えた症例もありました。後々振り返ると、患者さんの状態などは、わたしから率先して聞かなければならなかったと反省しましたが、日本ではいかに周りの先生に助けられていたかを実感しました。
―現地スタッフに囲まれた中、コミュニケーションで心がけたことはありますか。
特別意識したことはないのですが、声を荒げたり、自分の意見を押し付けたりはしなかったです。そのため、ミッションを終えるとき、同僚からは「穏やかな振る舞いがよかった」と喜んでもらえました。一方、上長からは「指導が必要なときはガツンと言いなさい」と言われましたが。
―現地になじむことにはそこまで苦労はなかったのですね。
そうですね。活動中はフリーになる時間もあり、現地のスタッフと仲良くなるのに時間はかかりませんでした。と言うのも、現地の方々は想像しているよりも本当にフレンドリー。皆、日本に興味を持っているようで「日本はどう?」「アフガニスタンではどう?」といったお国柄の話をよくしましたね。ありがたいことに、わたしの任期最終日にはプレゼントやケーキを用意して送り出してくれましたし、今でもSNSでメッセージのやりとりをしています。こうした交流は、国境なき医師団に参加したからこそ得られた喜びでもあります。
ただ、上長からの指摘にあったように、自分の指導力やコミュニケーション能力に力不足を実感する場面は多く、もどかしい思いをした経験は数え切れません。テクニシャンが誤った手順で手術を進めようとしているときも「Stop」しか言えず、相手が納得するような伝え方ができませんでしたし、オーストラリア出身の小児科医と麻酔のやり方で意見が対立したときは、言いたいことをうまく英語にできなくて悔しい思いをしました。やはり、スムーズに国際貢献を行うためには、語学力は不可欠だと思います。
理想の自分ではないからこそ、次につなげる
―国際貢献の現場で語学力が不可欠であることは大前提ですが、一方で、指導者側に語学力さえあれば、現地スタッフを十分に育成できると思いますか。
語学力に課題意識を持っているわたしが言うのもなんですが、確かに、「語学力があるだけ」では難しいかもしれません。アフガニスタンの場合、わたしが赴任する以前から、多種多様な国々の麻酔科医が派遣され、テクニシャンに技術を教えてきました。その中には当然、語学が堪能なスタッフもいたはずですが、現地のスタッフにはまだ成長の余地が残っています。
現地の医療水準を高めるために、自分が何をすべきか。わたしはまだ手探り状態で、この問いにはっきりと答えることができません。でもこれからも国境なき医師団に参加し続けて、その答えを探り続けたいと思います。
―不安がありながら、これからも活動を続けたいと思われる原動力を教えてください。
「また挑戦したい」と思えるのは、現地に行くと自分の課題が明確になるから。そしてわたしが課題をクリアして、次の派遣地で頑張れば、もっとたくさんの人たちを救えるかもしれないという思いが、頭をよぎるからだと思います。
そうは言っても1回目も2回目も、現地にいる間は日を重ねるごとに「今日は乗り越えられたけど、明日はもっと難しい症例が来るかもしれない」という漠然とした不安に押しつぶされそうになっていました。だからこそ、今は、語学の勉強に加えて、集中治療の術後管理を学び直しているところ。まだまだ理想の自分にはなれていませんが「次こそはリベンジする」という気持ちが、わたしを奮い立たせています。
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