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【事例:製薬会社への転職】研究開発部門で、世界標準の新薬を日本に―グラクソ・スミスクライン開発本部長 高橋希人氏 Vol.1

2014年6月26日

製薬企業MD_高橋先生vol1

新薬候補の化合物の研究開発を推し進め、患者のもとに新薬を提供する-。その過程で、製薬会社で働く医師(メディカルドクター=MD)はどんな業務を担い、そこでどんなやりがいを見いだすのでしょうか。今回は、循環器内科医としてのキャリアを積んだ後、製薬会社の研究開発部門で多数の新薬の研究開発・上市に携わった高橋希人先生(現グラクソ・スミスクライン開発本部長)に伺いました。

悩み抜いて製薬会社に転職

-グラクソ・スミスクライン(GSK)に入社される前から、複数の製薬会社で研究開発に携わってこられたと伺いました。そもそも、製薬会社でのキャリアを選ばれた経緯を教えてください。

日本で医師として診療・研究をしていましたが、1987年からアメリカで6年ほど研究を行いました。

その時、アメリカに本社を持つ製薬会社が日本法人で働く医師を採用しているという求人情報を頂きました。大学で研究を続けるか、そちらに入社するかは非常に悩みましたが、最終的にはその製薬会社に入社することを決めました。

-製薬会社に転職する上で、どんなことに悩みましたか。

製薬企業MD高橋先生略歴

「企業に入ると、これまで医師・研究者として積み上げたものが活かせないのではないか」「もう臨床はできないのではないか」という漠然とした不安がありました。医師・研究者としてのそれまでのキャリアから、とても大きな路線変更だったので、採用通知をいただいてから入職に至るまで、数か月間、考え抜きました。

入職を決意できたのは、アメリカ本社の雰囲気を見学させてもらったことが大きかったですね。アメリカでは、大学の教授レベルのMDが違和感なく製薬会社に転職していて、製薬会社でのキャリアも、医師・研究者の次のステップになりえるのだと分かりました。

臨床開発部のリーダーとして新薬開発に没頭

-1992年、初めて製薬会社に入社されて、どんな業務に携わりましたか。

製薬企業MD_高橋先生vol2私が入った製薬会社では当時、アメリカ本社にはMDが多数いたものの、日本法人ではわたしと上司のみがMDでした。アメリカでの一定期間の経験を経て、日本法人に臨床開発部のリーダーとして配属され、20ほどの新薬開発プロジェクトを担当しました。わたしの使命は、日本法人の開発機能をアメリカ本社並みにすること。当時は、「どうしたら各プロジェクトがうまくまわるか」「どうしたら能力の高い若手社員がもっと活躍できるか」など、いつも考えていました。

ほかにMDがいない状況ではあったものの、経営トップに「MDが持つ知見を活用しよう」という意識があった分、非常に働きやすかったですね。

国際共同治験に対応するための組織改革も

1992年に入社してから、2-3年は臨床開発部の業務だけでなく、安全対策など開発業務全般に携わっていました。1995年ころには国際共同治験に日本が参加できる機会があり、日本法人も海外と同時に臨床試験を進められるように、体制を整えて行きました。

日本法人の臨床開発部が国際標準に合わせられず、海外で当たり前に使われている医薬品が日本でだけ使用できなくなってしまうような事態は絶対に防ぎたいと思いました。そのために、アメリカ本社から担当者を招き、国際治験を進める上で何を変える必要があるのか、社員教育を行いつつ、国際共同治験のプロトコルにも参加しました。

もちろん、臨床試験に携わるのは臨床開発部門だけではありませんから、組織としての対応力を高めていかないと、国際共同治験には参加できません。臨床試験のモニタリングを行うオペレーション部門、副作用情報を管理する安全性部門、規制当局への対応を行う薬事部門-。国際共同治験への対応を行ったことで、これらの各部門の体制が国際基準で見直され、果たすべき機能がより明確になっていったことを覚えています。

そのほか、人材の登用にも力を入れ、95年以降は、MDの採用にも力を入れるようになりました。入職したMDには、まずは研究開発に携わっていただきながら、あらゆる部門をローテートしてもらうようにしました。当時一緒だった多くMDたちが現在製薬業界などで活躍しているのを見ると、とてもうれしいですね。

―2011年からはGSKの日本法人で開発本部長を務めていらっしゃる。

はい。社風も各社異なるので、全てが同じというわけではありませんが、開発部門のトップとしての仕事の根本は、以前とあまり変わりません。日本の患者さんが世界標準の医薬品を使用できるように体制を整えることや、海外とのコミュニケーションを良くするといったことに力を入れています。

わたしの本部だけでも数百人の社員がおりますが、社員一人ひとりが飛躍していく姿を見ていけるというのは、大きなやりがいとなっています。

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