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留学を即決して退局「もっと手術がしたい」─石山泰寛氏(川崎幸病院)・前編

2020年9月19日

働き盛りの多忙な医師ほど、転職に割く時間を作りにくい状況にあります。大学病院を退局し、そのまま海外留学をした石山泰寛先生もその一人でした。留学中、SNSをきっかけに人材紹介会社に登録し、帰国してすぐに面接、入職する運びとなった石山先生。前編では、留学前後のお話、遠方での転職活動について伺いました。(取材日:2020年8月28日)

川崎幸病院・外科(消化器外科専門)の石山泰寛先生(写真:川崎幸病院提供)

“井の中の蛙”、スペインへ留学

——石山先生が「医師になろう」と思った経緯からお聞かせください。

中学時代、私は柔道部に所属していました。日々練習に励んでいたのですが、その時に怪我をしてしまって──。当時、私を診てくれた先生が大変熱心で、「自分も優秀な医師になって人を治したい」と思ったのが原点になります。1997年、ブラジル代表の大好きなサッカー選手が怪我でW杯出場が絶望的となり、号泣していた姿を見て、その気持ちがますます強くなりました。

父が血液内科医なのですが、「医師になれ」とは一度も言われたことがなく、むしろ「大変だから医師にならない方がいい」と言われていたんです。これは後から聞いたのですが、父は私の天邪鬼な性格を理解していたので、敢えて口にしなかったそうです。今、こうして医師になっているので、結果的には父の作戦通りだったとも言えますね。

——そのような原点を持ちながらも、消化器外科の道へ進んだのはなぜですか。

大学に入学した時点で、自分は手を動かす方が向いているだろうから外科系かな、と漠然と考えていました。消化器外科にしようと決めたのは、胃がん領域で有名な木下敬弘先生の手術をポリクリで拝見したときです。その美しく、無駄のない、流れるような手術を見て「こんな美しい手術をできるようになりたい」と思ったんです。学生時代にその領域で一流の先生と出会えたことが、私の進路を決定づけました。

大学卒業後は、初期研修を経て、大学医局に入局。北陸や関東地方の関連病院で研さんを積み、消化器外科医として一通り必要な資格を取得したものの、次第に閉塞感を覚えるようになっていきました。日々の業務がルーティン化して、マンネリを感じるようになって──今思えば、井の中の蛙という状態だったように思います。もう少し難しい治療や手術をしたい、成長している実感が欲しいともがいていたところ、留学するチャンスを得たんです。そのような状況だったので、留学することを迷わず決めました。

そして、大学でのキャリアが自分に合うのか疑問に感じていたこともあり、退局する旨も伝えたんです。辞めるとは思われていなかったらしく、驚かれましたが、快く送り出していただきました。

臨床留学で有意義な時間を過ごし、「日本で早く手術がしたい」

スペイン留学中、Sant Pau病院のみなさんと(写真:石山先生提供)

——どちらに留学されたのですか。

スペインのバルセロナにある、Sant Pau(サン・パウ)病院です。留学期間は2019年4月から7月までの3カ月間、EAES(欧州内視鏡外科学会)のフェローシップで行きました。毎年ヨーロッパの学会に参加する中で、欧州の現場を知りたい、海外に知り合いを作りたいと思っていたんです。3~4年前から毎年応募していて、一昨年選考に通って、昨年の2019年に行くことができました。定員は8人、私以外全員が海外の方でした。そもそも、これに日本人が応募していないのではないかとも思うのですが、日本人で通ったのは私が初めてだったそうです。

——留学生活はいかがでしたか。

臨床がメインだったので、楽しかったですね。午後2時には帰ることができたので、生活する分にもよかったです。

私の専門は大腸がんなのですが、スペインでは、TaTME(経肛門的直腸間膜切除術)という腹腔側と肛門側の両方から手術を行う方法が盛んです。それをたくさん見たかったし、実際に見ることができて、有意義な時間を過ごせたと思います。

BMI40~50という肥満の患者さんが多く、日常的に減量手術が行われていて、これも大変勉強になりました。いずれの場合も執刀はできなかったので、助手としていろいろ経験させていただきました。海外の手術の雰囲気は、日本よりも楽しそうにやっているな、と個人的には感じました。

スペイン語を勉強して留学に臨んだものの、やはり完全には通じなくて、言葉の面では苦労しましたね。それもあって、「日本語が通じる環境で、早く手術がしたい」という思いは日に日に強くなっていきました。

Facebookを眺めていたら「仕事を探していますか?」

——留学中、帰国した後のキャリアビジョンをどう描いていましたか。

留学を通じて、自分が何をやりたいか明確になりました。そして、やっぱり手術が好きだと再認識しました。そのため、「こういう経験ができるところで働きたい」という希望条件は早めに固められたと思います。あとは、どうやって探すかのみ、でした。

ある日、何気なくFacebookを眺めていたところ「仕事を探していますか?」と人材紹介会社の広告が表示されたんです。帰国後の仕事を探さないといけないしな、と思い、軽い気持ちで質問に回答していって、そのまま人材紹介会社に登録しました。

——SNS経由で人材紹介会社に登録することに、抵抗はなかったのですか。

なかったですね。むしろ、「どういう病院があるんだろう」と興味の方が強かったです。病院の求人を紹介してもらうことにデメリットはないし、人材紹介会社経由で仕事を探す経験もしてみたかった。私自身、知らない人と話すことは苦手ではないですし、第三者からどんな求人を提示されるのか、転職市場において自分のニーズがどれくらいあるのかを知りたい気持ちもありました。

消化器外科医として必要な資格は一通り持っていたので、仮に人材紹介会社で仕事が見つからなかったとしても、知り合い経由で何とかなるだろうと考えていましたね。

ただ、妻子がいるので帰国してもなかなか仕事先が決まらない、という状況は避けたかった。そのため、留学中に入職候補先を絞って、帰国したらすぐ面接を受けられる状況にしました。

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